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必要最小限の単語で話す「ジョン・ウィック話法」を会得しよう

人とのコミュニケーションに何かしら悩みを抱えている方は多いと思います。
話し始めたは良いけどどう終わらせたら良いか分からなかったり。本当は短く済ませられる話をついダラダラと長引かせたり。大事なことを伝えたいのに要点が伝わらなかったり……

そんな悩みに役立つのが、あの伝説の殺し屋ジョン・ウィックさんが創始したと言われる会話法、名付けて「ジョン・ウィック話法」です。必要最小限の言葉を発するだけで、コミュニケーションを成り立たせてしまうというこの話法をマスターすれば、あなたも会話で苦労することは減るはずです。

この記事では、初級から中級、上級まで3つのステップで、この特殊なジョン・ウィック話法を解説していきます。
あなたもこのジョン・ウィック話法を身に着けて、言葉のミニマリストを目指してみましょう。
 
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初級編:主語・修飾語の省略

実際のジョン・ウィックさんの話しぶりは下記のような感じです。

ウィンストン「私の記憶では、君は殴る方であって殴られる方ではないはずだが」(Now, as I recall, weren’t you the one tasked to dole out the beatings, not to receive them?)

ジョン『腕が落ちた』(Rusty, I guess.)

ウィンストン「私には分かっているぞ、ジョナサン。まず訊きたい。この世界に本当に戻ったのか?」(I’m familiar with the parlance, Jonathan. I want to ask you this. Have you return to the fold?)

ジョン『立ち寄っただけだ』(Just visiting.)

相手が話してる単語の量と、ジョンさんが返す単語の量の差を見比べれば一目瞭然です。本当に必要なことだけを話すだけで、会話というものは成立するのです。

コツは、とにかく余計な主語や修飾語を省略すること。最低限必要な目的語と述語だけを相手にぶん投げてやるのです。それでほとんどの会話は事足ります。
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映画『ジョン・ウィック』(1作目)で考える、セリフの反復の効果

久方ぶりにブログを更新したら、もう『ジョン・ウィック:チャプター2』の公開まであと4日後に迫っています。
皆さんいかがお過ごしですか。私は『チャプター2』に備え、日々着々と戦意を高めております。2017年一番楽しみにしている映画です。

1作目の『ジョン・ウィック』に惚れ込んだ理由はいくつもあるんですが(ちなみに感想記事はこちら)、映像面以外のところだと、脚本・セリフ回しのユニークさも気に入っています。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『ジョン・ウィック』

今作を観ていると、「相手の言った言葉をほとんどそのまま繰り返すシーン」が多用されていることに気づきます。
例えばこんなシーン。

Viggo: “It’s not what you did, son, that angers me so. It’s who you did it to.”
Iosef: “Who? That fucking nobody?”
Viggo: “That fucking nobody…is John Wick.”

ヴィゴ「お前がやったことを怒ってはいない。問題は相手だ」
ヨセフ「相手? あんなの誰でもねえだろ」
ヴィゴ「その“誰でもない男”は――ジョン・ウィックだ」

相手が最後に言った言葉を受けて、次のセリフを始めています。
これぐらいのテクニックならどの映画でも珍しくないのですが、『ジョン・ウィック』では、この後もかなり意図的かつ頻繁に「セリフの反復」が使われます。

この「セリフの反復」という技法には、以下のような2つの相反する目的で使われると考えてます。

  • (A)自分と相手の視点・意見が同じであることを強調する
  • (B)自分と相手の視点・意見の違いを強調する

一見矛盾してるんですが、『ジョン・ウィック』を観ると、状況によってこの2通りの用法がそれぞれ意味を持って機能しているんです。

まずは、「(A)自分と相手の視点・意見が同じであることを強調する」用法から。

Jimmy: “Evening, John.”
John: “Evening, Jimmy. Noise complaint?”
Jimmy: “…Noise complaint.”

ジミー「やあ、ジョン」
ジョン「やあ、ジミー。騒音の苦情か?」
ジミー「……騒音の苦情だ」

ここではジミーは、肯定の意味としてジョンのセリフを繰り返しています。
このシーンの直前まで、ジョンの家には刺客が送り込まれて銃撃戦が起きていたのですが、住民の通報を受けてやってきた警察官ジミーに対し、ジョンは「騒音の苦情」だろうと言ってのけます。それをジミーも否定していないので、ここでこの言葉は文字通りの意味ではなく、二人の間で通じる一種の隠語になっていることを観客は悟ります。
実際、この映画での警察は、伝説の殺し屋ジョンを完全に恐れており、彼が殺しをしてもお咎め無しで済ませます。まったく仕事しません。

他にもこういったセリフ回しは出てきます。

John: “So when’d the old place get a face-lift?”
Charon: “Around four years ago. But, I assure you sir, she really hasn’t changed much.”
John: “Same owner?”
Charon:”Same owner.”

ジョン「いつ改装したんだ?」
シャロン「4年ほど前に。ですが、大きく変わっていません」
ジョン「オーナーも同じ?」
シャロン「オーナーも同じです

John: “Hey Harry. You keen on earning a coin? Babysitting the sleeping one?”
Harry: “Catch and release?”
John: “Catch and release.”

ジョン「なあハリー、コイン欲しくないか? 子守りを頼む」
ハリー「殺さず放流か?」
ジョン「殺さず放流だ」

単に”Yes”と言って肯定するのではなく、あえて相手の言葉を繰り返すことで、お前の言いたい意味は分かっているぞということを強調する効果があり、同時に観客により印象を残すようなシーンにできます。

現実にコミュニケーションの技法として、相手の言ったことをオウム返しするのは重要と言われています。相手の話をちゃんと聴いてるというアピールで、意識的にせよ無意識的にせよ、私達も普段からそれをしています。
こういうテクニックが挟まっている会話があると、映画にしても小説にしてもリアリティが増します。

一方で、それと正反対の用法が「(B)自分と相手の視点・意見の違いを強調する」用法です。

Avi: “What did he say?”
Viggo: “…Enough.”
Avi: “Oh god…”
Viggo: “Task your crew.”
Avi: “How…, how many?”
Viggo: “How many do you have?”

アヴィ「彼の返事は?」
ヴィゴ「……もういい」
アヴィ「まずい……」
ヴィゴ「部下を集めろ」
アヴィ「な……何人です?」
ヴィゴ「全部で何人いる?」

このシーンで、やや当惑気味の部下アヴィに対し、マフィアのボスのヴィゴの方は、ジョン・ウィックと全面戦争をする覚悟を決めた気持ちで、訊き返しています。
ヴィゴもアヴィも同じ側の人間ではありますが、ここでキャラクターとして視点の違いがあることが滲み出ています。

他にも、この記事の最初に挙げたヴィゴとヨセフの会話も、この(B)の用法に当たるでしょう。

Priest: “Honestlty, what do you think you are going to do with all of this?”
John: “This.”

牧師「金を床にまいてどうするつもりだ?」
ジョン「こうする

ジョンは必要最小限のセリフしか喋らないキャラですが、相手の疑問文にも1単語だけで答えるのが面白いです。(このあと金の山に火を付けます。)

あと、連続したシーンではないのですが、下記もある意味、セリフの反復の一種です。全ての元凶ヨセフがジョンと初対面するシーン。

Iosef: “How much?”
John: “Excuse me?”
Iosef: “How much for the car?”
John: “She’s not for sale.”
Iosef: “…Oh, I love dogs. Everything’s got a price, bitch.”
John: “Not this bitch.”

ヨセフ「値をつけろ」
ジョン「何だって?」
ヨセフ「いくらで売る?」
ジョン「売り物じゃない」
ヨセフ「俺は犬が好きだ。どんなもんにも値がある
ジョン「この犬に値はつけない」

そしてクラブ「レッド・サークル」での壮絶な撃ち合いの後のこのセリフ。

Iosef: “Victor, where the fuck are you?”
John: “Victor’s dead. Everything’s got a price.”

ヨセフ「ヴィクター、てめえどこにいる?」
ジョン「ヴィクターなら死んだ。どんな物事にも代償がある

序盤の何気ないセリフを、映画全体のストーリーを象徴するセリフとして再回収するところが上手いと思います。
最初にこのセリフを言った時のヨセフは、自分の言葉が後でよもやこんな意味を持つことになるなんて思ってもみなかったでしょう。

 
上記で見てきた通り、同じセリフを別の人間が反復するテクニックが劇中たびたび印象的に使われています。が、もちろんどのキャラも同じようにそう話しているわけではありません。
観ていて一つ気づくのは、互いに敵対し合っているキャラの間では、セリフの反復はほぼ全く行われないということです。

今までいくつかシーンを挙げてきましたが、逆に言うとこれら以外のシーンの会話は、ほとんど全て通常のやり取りです。単純にYes/Noで答えたり、違う言葉を使ったり、会話自体が一方通行であったり。
むしろ、相手の使った単語を意識して避け、違う言葉を使いたくなるというのが人として自然でしょうか。

よく考えてみれば、そもそもコミュニケーションが敵対的な相手に、理解を示してやる道理は無いわけです、(A)の用法のように。
また、敵対していることが分かりきっている以上、(B)の用法のように視点の違いを強調する必要もありません。
だからそんな人間同士の会話には、セリフの反復の余地は生まれないのだとも考えられます。

そういう前提で観ているとより興味深くなるのが、『ジョン・ウィック』のクライマックスシーンです。
マフィアの下っ端達を文字通り全滅させた後、雨の降りしきる港で一騎打ちを始めようとするジョンとヴィゴの間の会話。

Viggo: “No more guns, John! No more bullets!”
John: “…No more bullets.”
Viggo: “Just you and me, John.”
John: “…You and me.”

ヴィゴ「もう銃は使うな、ジョン。弾は要らない!」
ジョン「……弾は要らない」
ヴィゴ「お前と私で勝負だ」
ジョン「お前と俺でな」

これまで幾度となく憎み合う敵同士として相対し、互いに殺しの上に殺しを重ねてきた末のこのセリフです。
なんでしょう、このやり取りには、何か敵同士でありながら二人の間で通じ合うものが生まれ始めているのを感じさせます。
それを端的に観客に示すためのテクニックがセリフの反復の効果です。ここまで数々のシーンで使われてきたことが、ここに来てとても意味を持ってきます。きっとそれを織り込んだ上の脚本でしょう。

そして、闘いに決着がつき、互いに致命的な傷を負って最後に交わされる会話がこれ。

Viggo: “Be seeing you, John.”
John: “Yeah…, be seeing you.”

ヴィゴ「また会おう、ジョン」
ジョン「ああ……、また会おう

個人的にこの映画で一番好きなセリフです。
主人公と悪役という敵対する者同士、今際の際で同じ運命を辿ることを悟っています。ある意味王道的で、簡潔で、そして深い余韻。
死にゆく人間達が「また会おう」と言うことの意味については、今更触れる間でも無いでしょう。

アクションだけでも十二分に評価される『ジョン・ウィック』ですが、こんな風に会話シーンに注目してみても学べるものがあると思います。
一見シンプルに見えても、さりげなさの中にテクニックというものは隠されています。むしろどれだけさりげなく見せられるかが脚本の妙味でしょう。

と、こんなユニークな会話シーンがきっと7月7日公開の『ジョン・ウィック:チャプター2』にもあると信じていますので、これから次回作を観る方も、そこに注目してみるともっと楽しくなるかも……しれません。
 
※これを書いてる間の2017年6月27日、ヴィゴ役のミカエル・ニクヴィストが亡くなりました。上述した最期の会話シーンが私には特に印象的で、もっと他の映画でもそんな演技を観たいと思っていただけにとても残念です。RIP……。

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『ジョン・ウィック』は「映画の皮をかぶったゲーム」なのか

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『ジョン・ウィック』

殺し屋もの映画の系譜の中で、『ジョン・ウィック』は独特な裏社会の設定と、変にリアリティのあるアクションが絶妙な具合でマッチした映像を生み出すことに成功しています。
ゼロ年代の代表的な殺し屋映画が『ボーン・アイデンティティー』に始まるボーン三部作だとしたら、10年代なら今のところ、間違いなく『ジョン・ウィック』でしょう。(しかも2017年に続編が控えているとか。)(そしてボーンの方も2016年夏に新作『ジェイソン・ボーン』が公開されますが…。)

ところで、『ジョン・ウィック』のアクションについて、海外のニュースサイトで興味深いレビューを見つけました。
タイトルはずばり、「『ジョン・ウィック』は、映画の皮をかぶったただのテレビゲームである」

Chris Hicks: ‘John Wick’ is just a video game disguised as a movie -the Deseret News
http://www.deseretnews.com/article/865614322/6John-Wick7-is-just-a-video-game-disguised-as-a-movie.html?pg=all

内容を以下に日本語で要約します。

1986年の映画『トップガン』は、公開当時大ヒットを記録した。映画館で鑑賞した観客にとっては、それは70ミリのワイドスクリーンとサラウンドの音響による、信じられないほど本能的な映画体験だった。それから30年経った今でも、『トップガン』の影響は、特にテレビゲームのように感じるアクション映画において根強い。ゲームのように感じる映画があるとすれば、それは『ジョン・ウィック』だ。

「特殊なスキルを持った」孤独な男というのは、『96時間』よりも以前からアクションジャンルで流行ってきた設定だ。だが、殺人マシーンの能力の描写は、時代を経るにつれより凄惨になっていった。『ジョン・ウィック』は、『イコライザー』(デンゼル・ワシントン主演)と『誘拐の掟』(リーアム・ニーソン主演)という2つのR指定作に続いて公開された。これらの作品は暴力的だが、中でも『ジョン・ウィック』は独特だ。ジョンは何十人もの悪者に文字通り立ち向かい、マーシャルアーツの動きで倒しながら、一人ひとりを素早い銃撃の連続で殺していく。

『ジョン・ウィック』は、テレビゲームから意識的にヒントを得ているのではないだろうか。こんにち、人間をターゲットとして、銃撃の連続の中でできるだけ多くを倒していくゲームはたくさんある。『ジョン・ウィック』の劇中には、ジョンが殺しの準備をしている時に、悪役の一人がまさにこの手のゲームをしているシーンがある。この映画は、まさにゲーマー達に直接訴えかけるように作られた映画に見える。

初めて『トップガン』を観た時、筆者はいくつかの場面で、まるで他の誰かがゲームをしているのを観ているかのように感じたことを覚えている。『ジョン・ウィック』はそのデジャブだった。

レビューはあくまで一個人のものですが、「『ジョン・ウィック』はゲーム的である」という意見に関しては、実は私も少し似たようなことを思ってました。
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あえて比べるジェームズ・ボンドとジェイソン・ボーン(後編) -映画『ジェイソン・ボーン』三部作 各論編

だいぶ間が空きましたが、二人のJ.B.を比較してみる企画の後編。まずは前編からお読みください。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert↓〉
映画『ボーン・アイデンティティー』
映画『ボーン・スプレマシー』
映画『ボーン・アルティメイタム』

2.4.パーソナリティー

総じてジェームズ・ボンドは、「シニシスト」とか、「享楽主義的」、「女たらし」という風に評されます。
確かに彼は、敵はもちろん、仕事仲間や、上司のMに対してさえも皮肉を飛ばします。また、出先では品の良いホテルによく泊まり、身に付けているものもブランド品で、出会った女性といつの間にかベッドを共にしています。
彼は、自らがスパイであることを楽しんでいるようですが、その仕事精神の根底に、ユナイテッド・キングダムへの忠誠心があることは認めています。

シルヴァ「今の君がどうにかこうにかもってるのは、薬と酒のおかげ」
(Just look at you, barely held together by your pills and your drink.)

ボンド「憐れな愛国心も抜けてない」
(Don’t forget my pathetic love of country.)

――映画『007 スカイフォール』より(松崎広幸訳)

ボンドは、システムや権力に対して、どこか反発的・反骨的でありながら、やっぱり国を助けることを選んだ人間と言えそうです。

これまた、ジェイソン・ボーンは好対照を成しています。
彼はジョークらしいジョークを口にしません。特に2作目以降、ボーンが微笑むシーンは1秒もありません(写真の中や回想を除く)。また、彼は一人の女性を一途に愛し続けています。(そもそも出会う女性の人数自体少ないですが。)
大まかにいって、かなり「真面目」なキャラクターですが、一方で、内側から自身を突き動かすような強い感情も持っています。というより、彼の特色はその「人間臭さ」です。
社会から切り離された孤独な彼は、自分が信じられるものを捜しています。そして、過去に暗殺者としてやってきた自分の行為に対して罪の意識があり、とても内省的です。

ボーン「何度も謝罪しようとした……、自分のしたことを、自分の存在を。だが、罪の意識は消えない」
(I’ve tried to apologize for. . . for what I’ve done. . . for what I am. None of it makes it any better.)

――映画『ボーン・アルティメイタム』より(平田勝茂訳)

自己反省が行動の基点にあるボーンは、自分の記憶の真実を見つけるという目的がいつも頭にあり、ストイックかつ実直に振る舞うようです。 続きを読む

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あえて比べるジェームズ・ボンドとジェイソン・ボーン(前編) -映画『ジェイソン・ボーン』三部作 各論編

『ボーン』三部作紹介編総論編の投稿からかなり間が空きましたが、唐突に「良いモノ語り」を再開します。今回から各論編。

1.はじめに

共にイニシャルが「J.B.」である二人のアクション・ヒーローがいます。
方や50年以上にわたって継続的にシリーズが作り続けられている映画の主人公。方や21世紀のゼロ年代に印象的な三部作が作られた映画の主人公。

ネットを見てると、ジェームズ・ボンドとジェイソン・ボーンを比較してみようと試みるやり取りに、それなりに遭遇します。
この手の作品を越えた(時にジャンルすらも越えた)比較議論というのは、たいてい不毛でキリがありません。
実際、ただ立ち位置が似ているだけで共通点が少ないもの同士を比べたところで、あんまり意味が無いものです。

しかし、少し前から私は、この二人のヒーローの間の違いと類似点を考えてみるということをしたくなってきました。
というのも、比較することによって、それまでは見えてこなかったそれぞれのヒーローの特徴を浮かび上がらせることができるかもしれないと思ったからです。それぞれ映画史の中で一定の存在感を放っているヒーローを、あえて対比して見ることで、また彼らの姿が違って見えてくるかもしれません。

というわけで、まずこの前編では、二人のヒーローを様々な角度から改めて見てみたいと思います。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert↓〉
小説『暗殺者』(ロバート・ラドラム)

2.比較してみる

2.1.来歴

ジェームズ・ボンド
イアン・フレミングによって創作されたジェームズ・ボンド(James Bond)が最初に世に登場したのは、1953年の小説『カジノ・ロワイヤル』。英国諜報部きってのスパイで、「007」なるコードネームを持ち、任務中に自分の判断で敵を殺害しても不問にされるという「殺しのライセンス」を持つ男。英国を守るために世界を駆ける彼は、任務の途中で魅力的な謎の美女に出会い、危険な陰謀を企む者を追い、壮絶な闘いに勝利して任務を達成します。「スパイの本場」ともいえる英国で、シリアスで地味な本来のスパイ像とは離れた、華やかさを身にまとったスパイが生まれたのは、それ以降の「スパイ」に対する世間のイメージに決定的な影響を与えてしまったという点で、功罪あるかもしれませんが。
ともかく、映画化され、2014年現在まで6人の役者によって演じられてきた彼は、男性性やダンディズム、マッチョイズムのシンボルとしての地位を得ます。劇中に出る自動車や時計、銃、あるいはウォッカ・マティーニは、ジェームズ・ボンドと固く紐づけられた代物になっています。それだけ時代に影響を与えてきたヒーローです。

ジェイソン・ボーン
一方、ロバート・ラドラムによって創作されたジェイソン・ボーン(Jason Bourne)は、1980年に発表された小説『暗殺者』(The Bourne Identity)の主人公(山本光伸氏の訳的には「ジェーソン・ボーン」)。地中海上を漂流していたところ漁船に救助された彼は、自分の名前を含めた一切の記憶を失っていました。しかし彼の身体からは、コンタクトレンズの使用痕、毛髪を染めた跡、そして、臀部の皮膚の下に埋め込まれていたフィルムに記された、スイスの銀行口座の番号が見つかります。彼は自分のことをまったく覚えていませんが、格闘では明らかに素人ではない動きをし、拳銃の解体も無意識のうちにやってしまいます。
ここまでは原作は映画版とそう変わりませんが、この後は違ってきます。紹介編でも書いた通り、映画版は原作からいくつかの設定を借りているだけで、筋書きはかなり異なっており、特にボーンの正体はまったく違います。原作のボーンは、実際には暗殺者ではなく、架空の暗殺の実績を積み重ねることによって、世界的なテロリスト・カルロスの注意を引くために作り出された、ダミーの人格でした。これに対し、映画版のボーンは、CIAによる人格改造や精神矯正を経て生み出された、正真正銘、本物の暗殺者です。
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