アニメ『キノの旅 the Animated Series』(2017)(かんたん感想)

はじめに

アニメの感想を書く前に、もしかしたら『キノの旅』と私の最初の出会いの話から書き始めた方が良いかもしれません。

というのも、2017年秋に放送された新アニメ版は、既に人生のどこかしらの時点で『キノの旅』と出会ったことがある人達がメインターゲットなんだと思います。このアニメが初めてという人もそれなりにいるんでしょうが、17年も続いている作品の知名度は相当でしょう。
そういう私が初めて小説『キノの旅』を手に取ったのは、中学2年生の時でした。よく休み時間を図書室で過ごす手合いだったので、全ての本棚に収まっている本の背表紙を眺めているうちに、この本を見つけることになりました。ライトノベルと呼ばれる本に出合ったのもその時が初めてでしたし、表紙にキャラクターの美麗なイラストが堂々と載ってる本も読んだことありませんでした。
黒星紅白氏のカバーイラストがいつも気になって眺めていたのを覚えています。(このキャラは一体……? 男の子? 女の子? 銃を持って戦うの……? バイクに乗って旅するの……?)十代半ばの読書生活を狂わせるには十分な作品だったことはお分かりかと思います。

勇気を出して読み始めてみようと思いましたが、いつもⅠ巻が誰かに借りられていて、Ⅲ巻以降が飛び飛びで置かれているだけでした。「(ショートストーリー集だから)どの巻から読んでも大丈夫だよ」という当時の友人の言葉を信じ、私が読み始めたのがⅢ巻です。
キノの旅 (3) The Beautiful World (電撃文庫)
よりによって1話目から大分ハードな内容だったこの巻からなぜ読んでしまったんだろうと今でも思いますが、ともかく当時の学校にあった巻は、その後全て読破しました。すっかりこのシリーズにハマっていました。

まだ当時はそれぞれのエピソードが持つ寓話としてのメッセージをよく理解できてはいなかったと思いますが、それでもキノとエルメスが走っていく、奇妙で不思議な旅路を追うだけで楽しかったです。
が、Ⅻ巻ぐらいまで読んだのを最後に、学校の受験やら何やらという時期を挟んで、ぱったり読まなくなってしまいました。本屋で買って続きを読むということもしませんでした。(借りて読んだ本は、往々にしてこういうことになる気がします。)その後もシリーズはどんどん巻数を重ねていき、私はついていくタイミングを失ったまま、他の物事に時間をかけて生きてきました。興味は移り変わるものです。

そういったところに、再び『キノの旅』はアニメとなって現れました。「再び」といっても私は’03年のバージョンを観ていませんが、それでも昔好きだったキャラクターをもう一度観られるのは素敵なことです。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・アニメ『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』(2017)


 

再会

おそらく他の多くの人と同じく、私も一種のノスタルジアに浸りながら鑑賞していました。「ああ、こんな国の話あったよね」とか「このキャラは初登場はこんな話だったな」とか。
全体的に原作に非常に忠実な構成になっているところに、とても好感を覚えました。プロローグがbパートから始まり、エピローグがaパートで終わるところも。各話が時系列に沿っていないところも。国や街並みの風景も文章のイメージ通り。
特に各キャラクターの起源(オリジン)を掘り下げることが意識されているように感じます。キノとエルメス以外にそれほどレギュラーキャラの数は多くありませんが、それぞれ1話をまるまる使って初登場回を振り返って紹介する構成です。初めて『キノの旅』に触れる人には親切ですし、ファンにとっては新しいデザインと声優とともに躍動するキャラを楽しめます。

その文脈に関連して、個人的に思わずハッとさせられた回がありました。第11話『大人の国』です。キノがいかにして「キノ」となったかを描く回。原作第Ⅰ巻に収録されていますが、私の記憶からはすっかりその内容は抜け落ちていました。
そして改めてその起源を思い出しました。

少女「さっき、キノは私より大人って言ったよね。じゃあ、キノは『大人』なの?」

旅人「いいや。君の言うところの『大人』では、たぶん全然ないね」

少女「じゃあ『子供』?」

旅人「いいや。君の言うところの『子供』でもないと思う」

少女「ふぅん……。じゃあ、キノは一体何なの?」

旅人「僕かい? ……僕は『キノ』さ。キノって名前の男。それだけかな。そして旅をしている」

少女「好きなことを?」

旅人「そうさ。僕は旅が好きだ。だから旅をしている。もちろんそれだけじゃ生きていけないから、途中で見つけた薬草とかを売ったりしているよ。……でも基本的には、旅を、好きなことを、やりたいことをしている。」

少女「好きなことをしているの……」

――第11話『大人の国』

キノは大人でも子供でもない存在なのです。故郷の国にて「大人」になる直前に旅に出た「少女」が、時を経た姿。今改めてその根源的なところを考えてみると、『キノの旅』の本質が分かる気がしてきます。

旅人

『キノの旅』は現実で17年間続いているシリーズです。17年間、キノは大人と子供の狭間にいるまま、旅を続けています。そして、今もそれは変わっていません。ひたすらに「十代半ば」という現在が続いています。日曜夕方のアニメのように、劇中で年月が経過しない作品というのは世の中に色々あります。『キノの旅』もその一つです。
しかし、この世のほとんど全ての「キャラクター」は、現実の時代とともに多かれ少なかれ、「年を取る」ことを免れ得ないと、私は思います。それは単に肉体が成熟し老いるという意味とは限りません。
まず一つには、「成長」という見方があります。キャラが物語の展開とともに様々な出来事を経験していき、その起源の段階と比べて何か異なる価値観を抱いたり、異なる言動を取るようになること。
それだけではありません。キャラクターに対する現実の私達の見方も、刻々と変わっていきます。時代の価値観の変化とともに、例えば今もてはやされている属性を持ったキャラクターも、いつか自然と人気が衰えていき、人々に受け入れられなくなっていく。有り体に言えばキャラクターが「古びていく」。
そういう両面の意味で、キャラクターは「年を取る」と思います。

少し想像してください。10年前にヒットしたキャラクターのうち、その本質的な特徴やデザインなどを何一つ変えないまま、今も全く同じように最前線で流行しているキャラクターを何人思いつきますか? 私には一人も思いつきません。もし思いついたとしても片手の指の数は超えないでしょう。というか、そもそも10年前に何がヒットしたかさえ思い出せない。
いわゆる二次元の流行り廃りは、相当に激しいです。仮に何か「息の長い」キャラクターがいたとしても、それは時代の変化に上手く合わせて、作者やデザイナーが描き方を変えているのです。時には意識的に、時には無意識のうちに。そうでもしないと、多くの人々の記憶には残っていかない。

その点、キノはどうでしょうか。
上述した通り、彼女は十代半ばのまま、大人でも子供でもない存在であることを、もう17年も続けています。しかし、17年を経てもなお、こうして新しいアニメが作られている。これってなかなか無いことだと思います。
声優こそ変われど、そのデザインや特徴は原作の文章にある通りのまま。彼女は、物語的な意味での成長をほとんどしません。彼女の行動原理はほぼどの話でも同じです。一つの国に三日間滞在し、その後はまた次の国を求めてエルメスと共に走る。生き延びるためであれば、動物も人も殺す。困っている人には、良心から手を貸すこともある。17年の旅の内訳は、だいだいこの内容の反復です。
それなのに、「キノ」というキャラクターは少しも古びていないようです。17年経ってもキノは「キノ」であり続けている。でも彼女の魅力は失われていない。2017年でもキノというキャラクターは人々に受け入れられる。

理由は、おそらくキノが真の意味で「旅人」であるからでしょう。
旅人は、旅をしている間、物理的にも精神的にも、どの国にも、どの社会にも所属していません。そして、どの価値観にも属していません。
代わりに、キノ自身が様々な社会を、そして様々な価値観の間を移動し続けます。そのどれにも完全に染まることはありません。ある国では人を殺すことができ、ある国では一対一の殺し合いを強要される。ある国は存続のために大地を踏み潰して移動を続ける。ある国は歴史を大切にする。ある国は人の善行をポイントに換算する。ある国は旅人を大切に優しくもてなす。しかし、キノはいずれの国からもまた旅立っていく。次なる国を、まだ見ぬ世界を求めて。
そしてそれらの経験は、しかしキノというキャラクターの、物語的な意味での「成長」には寄与しません。少なくとも目に見える形では。キノは成長が止まっているのです。

キノというキャラクター自身は、何の価値観も代表していません。様々な意味で独立した、中立的な個人です。大人ではないが子供でもない。男性ではないが偏って女性的でもない。そして、特定の主義や思想やイデオロギーのためにも行動していない。誰の敵でもないが、誰の味方でもない。
強いて言うならば、彼女は「自由」のために生きています。旅をするという自由。好きなことをするという自由。自分のために生きるという自由。個人として生きるという自由。そういう意味で、キノは旅人です。

だから、キノというキャラクターは現在でも古びていないのでしょう。そして当分この先も、古びることはないでしょう。

おわりに

アニメ第12話が、最終話らしい体裁を取らずに、あえてキノとエルメス二者の旅の一場面に絞ったお話に描いていたのが、ある種象徴的です。もちろん原作がまだ終わってないのにアニメで先に旅を終わりにすることはできませんが、以下のやり取りが『キノの旅』という作品のことを自分で総括しています。

キノ「……もう旅はおしまい。ボクはここで、寝る」

エルメス「はい、りょーかい。キノの旅はここでおしまい……って、これからどうするのさ」

キノ「だから、昼寝するよ。思いっきり」

エルメス「で? 起きたらどうするのさ」

キノ「起きたら、旅を始める」

エルメス「……はい? 始める?」

キノ「つまりだね、エルメス。ボクが、『ここで旅は終わりだ』と思えば、そこで終わりになると思うのさ。そして、昼寝から目覚めて行うことが、たまたま旅だったとすると、別の旅が始まる」

エルメス「なんだかなぁ」

キノ「つまり、人の状況は、考え方次第で何とでもなるよね」

エルメス「で?」

キノ「で、以上」

エルメス「はいいっ?」

キノ「ボクはね、難しいことを考えると、なんか眠くなるんだ」

エルメス「要するにキノは、そうまでして寝たいわけだね」

――第12話『羊たちの草原』

結局、『キノの旅』はそういうお話なのです。終わろうと思えばいつでも終わりにできるけれど、まだ続いているから続いている。たまたま旅が続いているから終わらない。
人によって、どのタイミングでこの作品を見終えても、それで成立します。同時に、またいつ見ることを再開しても、やはり問題無く成立します。ショートストーリー集という作品だからこそそういう体験が可能なわけですが、それらばらばらの短編達を一つにまとめ上げているのは、キノとエルメス、その他様々な共通キャラがいるおかげです。

今の時点で原作『キノの旅』はXXI巻まで出ているらしいです。あとどれぐらい続きが出るのでしょうか。どうなるかは原作者のみぞ知るところですし、あるいは原作者すらも知らないかもしれません。
個人的にはキノというキャラクターの本質を改めて思い出すことができたという意味で、やはり観て良かったアニメだと思います。『キノの旅』は色々な意味で私の原点の一つです。これをきっかけに、ロードノベルやロードムービーといったジャンルの作品を特に好むようになりました。あと、自分で小説を書いてみることに興味を持ったのもこの本を読んでから。

原作小説の内容の記憶もだいぶ曖昧になっていることも思い知らされたので、この際、未読分も含めて、全巻また読み直したいと思いました。今度は図書館で借りずに。
とはいえ、買い揃える前にまずは文庫本21巻分の本の置き場を自室に確保するところから始める必要がありそうです……。

余談

第7話WEB予告、貴重なブチ切れっぷりを見せる師匠が好きです。というか今回師匠役の人がイメージにぴったりだったので、もっと他にもエピソードを観たかった……。

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カテゴリー: かんたん感想, かんたん感想 -アニメ

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