映画『ジョン・ウィック:チャプター2』(ネタバレ)「掟」を破ったことの意味

『チャプター2』、個人的に今年1番期待してた作品でしたが、その期待の遥か上を飛んで行ってくれる素晴らしい作品でした。
前作超えはもちろん、間違いなくこの2010年代殺し屋映画ベストに余裕でランクインしてくれる内容です。

あのアクションシーンが好きとかこのキャラが好きとかそういう話はもう無限に書くことができてしまってキリが無いのですが、正直私が何よりも衝撃を受けたのが、今回のストーリーのテーマとそのラストの展開です。


公開初日に観に行けたのですが、あのラストの衝撃が実は今も結構後を引いてます。なので、居てもたってもいられなくなってブログに書き殴りました。

というわけで、以下、ラストシーンについてのネタバレあり所感です。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『ジョン・ウィック』
・映画『ジョン・ウィック:チャプター2』


 
『ジョン・ウィック』(1作目)も『チャプター2』も、「ジョンが大切な物を奪われたことがアクションのきっかけ」という点は同じです。が、一つ決定的に違う点があります。

1作目で愛車を奪われ愛犬を殺されたのは、偶然まずいタイミングでガソリンスタンドでヨセフと居合わせてしまったことで、あれは純粋に災難だったと言えます。
一方、2作目では血の誓印という殺し屋界のれっきとした「ルール」を拒否したがために、罰として家を焼かれます。ある意味では、今回はジョン自らが招き寄せた災いです。
『チャプター2』を通して、ジョンを翻弄しているのはルール、掟です。

 
個人的に思ったのは、掟に翻弄された末の『チャプター2』ラストにおけるジョンの「掟破り」は、既に1作目から伏線があったのではということです。

1作目、ヴィゴが最初にジョンに電話をかけるシーン。

Viggo: “Hello, John. I heard about your wife, and I’m sorry. My condolences… It’s, uh, seems to be fate, or happenstance, or just bad fuckin’ luck caused our paths to cross once again.
……John?……
Let us not resort to our baser instincts and handle this like civilized men to move on…”
*hangs up

ヴィゴ「やあ、ジョン。奥さんの話は聞いた。気の毒に。気持ちは察する。……これも、宿命というべきか、あるいはただの不運なのか、我々はまた関わることになったな。
……ジョン?……。
どうか今回は復讐の本能を抑えて、お互いに紳士らしく解決するため――」
(ガチャン)

動画でも見ると分かりやすいのですが、ジョンは明らかに“civilized”という単語が聞こえた瞬間に、電話を切っています。

そしてラストまで飛びますが、ジョンとヴィゴの一騎討ちの最中、こういう会話があります。

Viggo: “What happened, John? We were professional…civilized.”
John: “Do I look like civilized to you?!”

ヴィゴ「どうしたんだ、ジョン? 私達は紳士的なプロだったじゃないか」
ジョン「俺が紳士に見えるか!?」

ジョンは明らかに“civilized”「紳士的な」という単語を嫌悪しています。まるで自分が紳士と見られることを拒否するかのように。

ここで“civilized”という単語を訳す時、シチュエーションや意図から「紳士的な」と訳すのが適当でしょうが、本来この単語には「文明化した」「文明的な」という意味合いも含まれます。

“civilized”という単語でふと個人的に思い出すのが、映画『ダークナイト』のあの有名なジョーカーのセリフです。

“You see, their morals, their code; it’s a bad joke. Dropped at the first sign of trouble. They’re only as good as the world allows them to be. I’ll show you. When the chips are down…these, uh, the civilized people? They’ll eat each other.”

「なあ、連中はモラルだの、倫理だのと言ってるが……タチの悪いジョークだ。ちょっとでも困りゃすぐ捨てられる。奴らが善良なのは世界がまともな時だけさ。見てろよ。いざ追い込まれた時は……いわゆる、その、文明人って奴らか? あいつら今に共喰いを始めるぞ」

ジョーカーは、社会を支えているルール、規範というものがいかに脆いものであるかを語っており、その欺瞞性を見抜いてバットマンに挑戦します。

『ジョン・ウィック:チャプター2』でも、ウィンストンがことさらにジョンにこう語っています、「ルールが無ければ動物と同じだ」と。
ルール無しでは社会というものは存在しません。社会はルールによって成り立つものであり、社会とはまさにルールそのものです。
ルールが無い状態は、すなわち自然状態です。誰が何をしても罰されず、あらゆる暴力が許される。そうなるところを、ヒトはルール、社会を作ることで防いできました。
『ジョン・ウィック』シリーズでコンチネンタルグループを中心とする「裏社会」も、「社会」と呼ばれるだけのルール、掟があります。ホテルでの仕事は厳禁。血の誓約は必ず守ること。逆に言えば、それさえ守ればどこでも殺しはOK。

このシリーズの裏社会がユニークなのは、本来とても文明的ではない、野蛮な行為の究極である殺人を、ルールで上手く制御しているように見えるからでしょう。殺し屋という職業は、その「野蛮」をルールの下で生業としている人々であり、そして伝説と恐れられるジョン・ウィックは、誰よりもその極限に直面していると言えます。誰よりも人間の野蛮さに接してきたと言えます。
しかし、ジョンは裏社会から一度足を洗うことができ、表社会の空気を吸うことができた人間の一人でもあります。そこで彼は、本当の意味で「文明的な」社会を知ったのだと思います。これまで居た、殺人の溢れる裏社会とは違う、新しい自分の生きる場所を見つけたのです。

端的に言って、ジョンは裏社会の人間達がみな文明人面をしているのが許せないんでしょう。「俺達はルールを守り、ルールに守られているから野蛮じゃない」と言っているのが許せないんでしょう。
1作目でのヴィゴの「紳士」という言葉に対する拒否反応、2作目で美的感覚をひけらかすサンティーノと対峙する時の苦い表情から、それは感じられます。
ルールを守っていれば、人の家を爆破しても良いのか。人から大切なものを奪ることも許されるのか。野蛮ではないというなら、なぜ奪い、破壊し、そして殺すのか。表社会を見てしまったジョンには到底受け入れられません。

彼は戻りたくなかった裏社会に引き戻されます。自分もいかにも紳士に見える恰好をしながら、それでも紳士ではない行為に手を染め続けます。
たとえ『キングスマン』が何と言ってようが、スーツは現代の戦闘服なんかじゃありません。たとえ裏地に防弾素材を縫い込もうが何しようが、スーツは本来野蛮ではない文明人の着る物です。それでもジョンは仕事をする時は決まってスーツを着てしまいます。
そして自らもまた、自分が嫌う「紳士的な」裏社会の仲間に入らないといけないのです。彼らから「楽しい狩りを!」「楽しいパーティーを!」なんて言われても、硬い表情で応えるしかない。

ジョン・ウィックがこんなにも興味深いキャラクターなのは、彼が根本的に矛盾を抱えた存在だからです。
紳士にしか見えないのに紳士ではないと思っている。表社会に戻りたいのに裏社会の流儀に従わざるを得ない。どんな人間でも瞬く間に殺してしまえるのに、それでも他人や動物を愛する心も持っている。

ジョンがコンチネンタルホテルのラウンジで放ったあの一発の銃弾は、コンチネンタルグループや首席連合からなる裏社会への、無謀で孤独な宣戦布告なのでしょう。

John: “Winston. Tell them, tell them all. Whoever comes, whoever it is, I’ll kill them. I’ll kill them all.”

ジョン「ウィンストン。伝えてやれ、奴ら全員に。俺に近づく者は、たとえ誰であろうと、俺が殺す。全員殺す。」

あれが私が『チャプター2』に衝撃を受けた理由です。この映画シリーズの最大の魅力の一つが、コンチネンタルホテルを始めとする裏社会のユニークな世界観だったはずなのに、主人公たるジョンは自らそこを離れてそこをぶっ壊そうとしているのです。
続編が出る度に何か自分の大事な物を殺され、その復讐で毎回ホテルに戻りつつ、どこかのマフィアを壊滅させるような安直なシリーズにすることもできたでしょう。しかし、2作目にしてもう次はないと宣言しています。

『チャプター3』がどうなるかは今のところ分かりません。おそらく、この先もジョンは全世界から命を狙われます。ですが、たとえ何人殺し屋が現れようと、今までの彼の戦いぶりを見ていれば、おそらく本当に彼は宣言通り、全員殺すことができてしまうでしょう。
しかし、もはやそれに何の意味があるのでしょうか? 彼はこれから何のために生きていくのでしょうか? 偶然見つけた愛犬ピットブルのために? 裏社会の人間を一人残らず始末するために? ただ殺されないためだけに?
彼は表社会から裏社会に引きずり戻され、しかし今度はその裏社会からも追放(Ex communicado)されました。彼は今、そのどちらの世界でも居場所を失ってしまったのです。
ジョンは最終的にどこに行くことになるのでしょう?

今更ながら私は殺し屋モノが大好きなのですが、殺し屋モノの永遠のテーマは、「人殺しの主人公は赦されるべきか、罰されるべきか?」にあると思っています。
チャプター1はこの問題を表面的には避けて通っていたようでした。だってどれだけジョンがマフィアの人間を殺そうが、誰もジョンを責めませんから。ところがチャプター2に来て、初めてジョンは自分の殺人で咎められることになります。他の作品には無いような独特なアプローチで、永遠のテーマに回帰したのが面白いです。

個人的には、殺し屋ジョンのオリジンを見たい気がしますが、今度アメリカで出るコミック版はジョンの過去を描く前日譚だそうなので、そちらに回されるかもしれません。
あと、ずっと気になっているのが、ジョンが表社会に出る条件となり、サンティーノと血の誓約を交わすことになった「絶対に不可能なミッション」について。劇中で何度も話題には出ますが、一度もその内容は説明されていません。全ての因果が始まるならそこに何かあるのでは。

ジョン・ウィック、2010年代に入って一番謎めいて興味深い映画キャラクターと言っても過言じゃありません。アクションが最大の見どころですが、私はキャラにこそこのシリーズを面白くする秘密があると思います、

『チャプター3』を気長に待ちたいところですが、その前にあともう1回は『2』を観に行きたいです。またカタコンベでAR-15とベネリM4が火を噴くシーンと、NYで殺し屋達に襲われるモンタージュシーンと、終盤美術館で銃を奪っては撃ち奪っては撃ちを繰り返すシーンが観たいので。

では、また会いましょう。(アレスさんの手話を真似しながら)

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