映画『レヴェナント:蘇えりし者』 (かんたん感想)

あらすじ

1823年のアメリカ北西部。猟師のヒュー・グラス(演: レオナルド・ディカプリオ)は、ネイティブ・アメリカンのポーニー族の女性との間に生まれた息子ホーク(演: フォレスト・グッドラック)と共に狩りをしていた。川のそばでグラスの銃声を聞きつけた罠猟師のフィッツジェラルド(演: トム・ハーディ)は、ネイティブ・アメリカンの接近を警戒する。グラス達はヘンリー(演: ドーナル・グリーソン)率いる狩猟隊のメンバーで、彼らは野営中だった。そこを突然、ネイティブ・アメリカンの一団が急襲する。騒ぎを聞いたグラスらも駆け付け、壮絶な戦闘が始まった。生き残った十余名の狩猟隊は、ボートで川へと脱出する。
川を下る狩猟隊だったが、川下はネイティブ・アメリカンのアリカラ族の領域に近いため、グラスはボートを捨てて山沿いの険しいルートを行くことを提案する。フィッツジェラルドは川を進むべきと言うが、ヘンリー隊長はグラスの案を採用し、彼らは森へと分け入る。隊のメンバーが休む間、グラスは一人で森の中を偵察する。しかしそこで大きなグリズリーに遭遇し、襲われてしまう。グラスは喉を爪で切り裂かれる重傷を負うが、最後の気力を振り絞りナイフでグリズリーを殺した。駆け付けた狩猟隊は瀕死の状態のグラスを発見する。自分で動けないほど衰弱した彼を担架で運ぶが、道には雪が積もり、隊員の疲労も限界に達していた。フィッツジェラルドはグラスはもう助からないと主張し、ヘンリー隊長もグラスを見捨てる決断を迫られた。彼の最期を見届け埋葬をするためにホークとブリッジャー(演: ウィル・ポールター)が残ると言い、またフィッツジェラルドもヘンリーから金を貰うことを条件に残った。
しかし、ホークとブリッジャーのいない隙に、フィッツジェラルドはグラスの息の根を止めようとする。ホークが駆け付けてフィッツジェラルドを止めようとするが、グラスの目の前で彼はホークを刺し殺し、その死体を隠してしまう。何も知らずに戻ってきたブリッジャーにフィッツジェラルドは出発を急かし、まだ息のあるグラスを墓穴に引きずり込む。そして二人ともグラスを置き去りに逃げてしまった。ゆっくりと墓の中から這い出たグラスは、息子の亡骸のもとに辿り着いて寄り添い、そして、全てを奪ったフィッツジェラルドへの復讐を誓った――。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『レヴェナント:蘇えりし者』

レビュー


 
昨年の10月くらいにこの映画をティザー映像を見た時以来、一撃で心を奪われていました。

実際、本当に凄まじく恐ろしい映画でした。
容赦なく人の首に矢が刺さり、血が吹き飛ぶ、まるで19世紀版『プライベート・ライアン』か何かかと思うような戦闘シーンも。誰も助けてくれない絶望的な状況下で襲いかかってくる巨大なグリズリーも。そして、復讐の執念だけを力に蘇り、鬼気迫る形相で地面を這い進む主人公も。何から何まで恐ろしい。
さらには、ベジタリアンのディカプリオを生レバーに喰らいつかせるイニャリトゥ監督の無茶ぶりさも、撮影現場の過酷さにトム・ハーディが監督を絞め殺そうとしたことも恐ろしいです。現代で大予算をかけて撮るにはあまりに狂気的な条件で作られていて、こうして存在していること自体奇跡のような映画です。

※参考:『レヴェナント:蘇えりし者』が、どれだけスゴい映画なのかまとめました! #レヴェナント100連発  -togetter http://togetter.com/li/964583

ちょうど1年前に観た、監督の前作『バードマン』は(※当時の感想はこちら)、様々な人間のプライドと承認欲求がぶつかり合い、ネオンと虚飾に彩られた、奇妙でおかしなブロードウェーが舞台でした。有名俳優が何人も出て、カメラは技巧を駆使していて、さらに現実の他の映画ネタがいくつもちりばめられてて、にぎやかな映画です。
対して『レヴェナント』の本質は、質素さ、簡潔さ、静謐さ、幽玄さの中に宿っています。余計なものを削ぎ落としていく美学です。ヒュー・グラスはほとんど口を開かず、1820年代アメリカの歴史的背景についてもあまり説明せず、アクションも凝縮されています。究極まで映像を研ぎ澄ましていった時、後に残るのは二つ。人間の最も根源的で原初的な感情と、それすらも包み込んで、ただただ存在し続ける広大な地球の自然です。他には何も要りません。

寒さ、痛み、恐怖、飢え、苦しみ、憎しみ、妬み、罪悪感、怒り、恨み、信仰心、疲労、渇き、畏怖、悲しみ、そして報復心。今作は本当に登場人物の感情が画面からはっきり滲み出てくるかのような激しさがあります。台詞だけでなく、表情や行動の微妙な変化にも表現されていて、それを余すところなく、撮影監督エマニュエル・ルベツキのカメラが映しています。
そして、それらと同様に作品の多くを占めるのが自然描写です。ドキュメンタリーでも無いのに、こんなに自然を印象的に見せる映画も無いと思います。うねる巨大な川、視界を塞ぐ吹雪、稲妻の光る夜空、バッファローの群れ、枝葉から滴り落ちる雪どけの雫、朝靄に包まれる深い森。
たった一人の孤独な人間にとって、自然は道であり、同時に無言の対話相手であるかのようにも見えます。

ところで、『レヴェナント』は「サバイバルムービー」のはずです。この映画を説明するならそれが一番のようですし、サバイバルが物語の大半を占める要素です。
しかし、グラス自身が語っている通り、彼は既に「死んでいます」。彼が凄まじいほどサバイバルへの執着を見せていても、比喩的には彼は生きてなどいません。生きながらにして死んでいる。死んでいるけれど生きている、亡霊(revenant)。
擬似的にでも「死から蘇る」という行為は、「自然を超越する」こととも見ることができます。
興味深いのは、グラスが最初死にかける原因が熊(=自然)であることです。彼はネイティブ・アメリカンに襲われるのでも、フィッツジェラルドに仲間割れで傷付けられるのでもありません。彼は自然の偶然によって瀕死に陥ります。だから、彼は自然によって殺されることになるはずでした。
が、そこに人間の意思が介入します。愛する息子が目の前で殺され、彼自身も生き埋めにされかけます。自然の運命で死ぬはずだった男が、人間への報復のためだけに執念で蘇ります。報復心が自然を越えています。亡霊とは超自然的なものです。
グラスの旅で印象的なのは、自分を半殺しにした熊の毛皮を常時羽織っているところです。また、乗っていた馬が死んだ後、彼は夜をしのぐために、馬の腹を切り裂いて内臓を取り出し、皮の中に全裸で入り込んで暖を取ります。夜が明けてそこから這い出てくる時は、まるで死んだ馬の中から産まれたかのようです。死体と言えば、ラストバトルの直前、グラスはヘンリーの死体を囮として使って、フィッツジェラルドをおびき寄せています。蘇りの後、グラスは常にどこかしらで「死」を身にまとっているように見えます。あるいは自然の運命そのものと一体化しているとも。

「復讐は神の手に委ねる」のシーンも印象的です。最初自然によって死にかけた人間が、復讐のために自然の中を踏破し、それでもなお最後の最後で、復讐は自分の手の中には無いことを悟る。
見方を変えると、キリスト教を信仰し、「文明」なるものを信じてアメリカ大陸を開拓し続けた白人と、独自の信仰の中で自然と調和して生きるネイティブ・アメリカンとの対比を感じます。フィッツジェラルドが冗談混じりに「俺は神だ」とブリッジャーに豪語するシーンがありますが、それに対してグラスは死を乗り越えて自然そのものの摂理をその身に受け入れているかのようにも見えます。
主人公から感じられる恐ろしさは、そんな人智を越えたところにある何かと繋がりを見出し、復讐のために何を乗り越えてでも迫ってくる執念です。報復心であれ、なんであれ、一つの感情によってのみ突き動かされる人間を見た時、私たちは言いしれない狂気を感じます。

でも、個人的に本当の意味で恐ろしかったのは、最後の最後のディカプリオのあの「目」です。なぜイニャリトゥ監督は、最後に第四の壁を越えて私達を見つめてきたのか。アメリカの西部開拓期に壮絶な復讐譚を果たした実在の人物が、私達に何を見せようとしたのか。
自分はあの目に心臓を掴まれるような思いでした。それにしても、また何度でも観たくなる恐ろしさがあります。

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カテゴリー: かんたん感想 -映画

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