映画『ハーモニー』 (かんたん感想)

イントロダクション

『屍者の帝国』に続いて、『Project-Itoh』の映画第二弾。原作はもちろん、伊藤計劃が書いた最後の完成された長編『ハーモニー』。
監督は二人体制で、なかむらたかし氏とマイケル・アリアス氏。制作はSTUDIO 4℃

優しさで覆われた世界に嫌気が差している主人公役に沢城みゆき、そんな世界を転覆させようとそそのかすカリスマ的な親友役に、上田麗奈。そしてその二人の間に立つ重要なポジションの少女役には洲崎綾。他にも、榊原良子チョー、『屍者の帝国』から引き続き登場の大塚明夫三木眞一郎など、こちらも実力派ばかり。

日本の公開日は2015年11月13日。

あらすじ

これは、”ETMLバージョン1.2″によって記述される、「わたし」の物語。

近未来のニジェールの砂漠地帯。一面のひまわり畑の端で、世界保健機構(WHO)の「螺旋監察事務局」の上級監察官である霧慧トァン(演: 沢城みゆき)は、トゥアレグ族の一団と接触する。一団の男アサフ(演: 大塚明夫)は、トァンらを「医療の民」と呼び、トァンからナノマシンの医療パッチを受け取る。
かつて世界規模で起きた「大災厄」の後、トァンらの属する医療社会では、人類の健康を至上価値とし、人命を社会の重要リソースとする「生命主義」が掲げられた。そこでは誰もが「WatchMe」と呼ばれるナノマシンを体内に注入して健康を管理し、病気を駆逐していた。酒や煙草などの不健康な嗜好品はご法度とされていたが、生命主義のことを倦んでいるトァンは、平和維持活動という任務の傍らで、医療パッチとの交換でそれを戦場で仕入れていた。トァンが基地に帰還すると、彼女の上司であるオスカー・シュタウフェンベルク(演: 榊原良子)が待ち受けており、トァンが嗜好品を隠し持っていることを咎める。螺旋監察官がそれらを持っていることが公になれば重大な不祥事となるため、シュタウフェンベルクはトァンを謹慎処分とし、日本へ帰国させる。
13年前、日本の女子高生だったトァンは、御冷ミァハ(演: 上田麗奈)というカリスマ的な少女と親友だった。ミァハは、あらゆる人への優しさと思いやりを強要する社会を激しく嫌悪しており、トァンと、もう一人の親友である零下堂キアン(演: 洲崎綾)と共に、自殺を企てる。生きて社会の一員となることを求めてくる世界への抵抗として。しかし、結果的に死亡したのはミァハ一人だけだった。生き残ってしまったトァンは、以来罪悪感を引きずっていた。
嫌々ながら母国へ帰ったトァンは、そこで親友であるキアンと再会する。13年を経て、すっかり健康社会の模範的な一員となってしまった様子のキアンを目にし、トァンは内心で失望する。しかし、昼食の席でキアンは、かつてミァハに持ちかけられた自殺の企てを、親達に告白していたのだと明かす。トァンの自殺が未遂に終わり、ミァハだけを逝かせてしまったことを、キアンは今も悔いていた。トァンは、キアンがある意味では命の恩人であると知る。
だがキアンは突然、「ごめんね、ミァハ」と呟くと、唐突にテーブルナイフを自分の首に突き刺した。その時、健全な世界の各地で、大量の人間が一斉に自殺を図る事件が起きていた――。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『ハーモニー』
・小説『ハーモニー』
・映画『屍者の帝国』

レビュー


 

「向こう側」から贈られる映像

原作は、その全体的な仕掛け上、「文章」で記述されていることにこそ意味があるような本なので、その分映像化はどうやろうとしても難しくなると思ってました。
実際に観た感想を率直に言うと、原作の映像化としては大満足でした。
先日の『屍者の帝国』の感想記事でも書きましたが、あちらは結構映画オリジナルの設定とか展開がありましたが、今作の『ハーモニー』はかなり原作に忠実です。(もともとオリジナルの要素を入れる余地すら無い作品かもしれない。)
かつて世界規模の災厄があった面影すら感じさせない、隅から隅まで優し過ぎる世界。螺旋監察官の赤色の制服。ピンク色の生府軍施設、そして生府の街並み。生物のような見た目と挙動の無人機や飛行機。オーグ(拡張現実)が次々と映し出す情報。自分が原作を読んでた時の想像とも重なるところがあって、個人的に違和感はありませんでした。
アニメーションは、また『屍者の帝国』とは打って変わって3DCG。コンピューターで、すなわち数値で、すなわち「記述できる」方法によって描かれる物語。個人的に粋に感じちゃいます。

あと、「ETML」をどう表現するかというところにも注目していたのですが、これも結構良かったです。最初と最後の映像表現は、ちょっと示唆的で、実験的な匂いさえします。とはいえ、ハーモニーである「向こう側」のことは原作でもあまり語られないので、映像もあまり見せすぎないようにするべきだとも思います。この作品自体が、「向こう側」から贈られてくる映像という体裁でないといけませんから。

『屍者の帝国』と比べても『虐殺器官』と比べても、今作はその物語の性質上、どうしてもアクションというか”血の気”が少なくなるので(あれだけ大量自死シーンがあってもなお)、展開に盛り上がりが少なくなるのはしょうがないものです。トァンが誰か人物に会いに行って、お話を聞いて、また誰かに会いに行く。かなり平坦なお話になってしまうところに、過去の回想が時折挿入されてはいますが、そのシーンもやはりミァハとの話になるので、やっぱり会話パートが多くなる。原作からしてそういうプロットなので、それを忠実に映像化しようとすれば、やっぱり映画もそうなります。冒頭の無人機を打ち落とすシーンと、ヴァシロフとのチェイスシーンで、ここぞとばかりに「盛り上げろ!」と頑張ろうとしている感が伝わってきましたが、確かにああでもしないと眠たくなる人もいると思います。
(だから個人的にエンタメという面では、『虐殺器官』や『屍者の帝国』の方がより好き。)

原作を読み終わった時ですが、自分は「論文を読み終わった」ような印象を持ちました。学術論文は、首尾一貫していることが求められる文章です。仮説があり、研究があり、その結果があり、そして考察。主張がぶれてはいけない。この話も伊藤計劃の思考実験の一つであり、その分全体的に透徹していて、物語としての「揺れ動き」よりも、静謐さの方が感じられました。
人類がやがて行き着くかもしれない進化の極地が示され、その実現が阻止されるか否かという賭け引きもそこそこに、結局は「ハーモニー」が実現する。ある意味、トァン一人がどうあがいても、最後に世界がああいう結末に至ることは変わらず、それが一層このストーリーに漂う「避けられなさ」の印象を際立たせます。

それでもこの映画は、単に原作を映像化する以上に、観客のエモーションを強く引っ張り出そうとしているのがよく感じられました。トァンが世界を眺めている時の瞳が好きです。どうしようもなく疎外感を与えてくる社会と、覚悟も無いまま成長して大人になってしまった自分自身を見つめる瞳。オーグのレンズが光る瞳。
あと、例のカプレーゼが出てきた瞬間から自分は心臓ドキドキしてました。これから何が起きるか完全に分かってるからこそ起きる緊張ってあると思います。

おかげで久々に、原作を読んでいた時の感覚を思い出せました。
正直、もう1回でも観に行きたいかもしれない映画でした。ちなみに、入場者特典のしおりはキアンのでした。(別にそのことに他意はありません。)

雑感

百合

思わずビビってしまうくらいに映画版は百合でした。原作読んだのももう大分前ですが、「あれ、こいつらこんなにイチャついてたか…?」と思ってしまうくらいに激しいです。
プールに飛び込んで水中で二人きりのシーンとか、「火葬」のシーンもですね……。なかなかでしたね……。意識して原作よりそういう描写多めにされてると思います。
それにしても映画版『屍者の帝国』にもそこはかとなくブロマンスっぽさがあったし、今は映画化すれば何でもこういう方向性になるんでしょうかね……。いやでも『ハーモニー』には良い感じにドキドキさせられました。

色彩

全体的に「ピンク色」と「赤色」が多かったのが目に鮮やかで、その色の使い方の対比も良かったです。
生命主義の圏内では、優しさの象徴たるピンク色中心の画。それでも、その圏外である、バグダッドでヴァシロフと対峙する屋上にかかっていた布や、ラストのチェチェンの要塞でミァハと邂逅する部屋の壁の色には、血のような赤色が使われていて、対照的です。そして、トァンの髪の色も赤色。螺旋監察官の制服の色に合わせたキャラデザインかもしれませんが。
ミァハの髪などが水色なのがよりファンタジックでしたが、上記の「赤系」の色と、色々な意味で反対側に置かれるというイメージかもしれません。

[11/21: あらすじ一部修正、以下追記]

例のレストランのシーン

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カテゴリー: かんたん感想, かんたん感想 -映画

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