映画『チャッピー』を観た (かんたん感想)

イントロダクション

『第9地区』、『エリジウム』に続く、ニール・ブロムカンプ監督のSFアクション映画。今回の主人公は、人間の子供のように全てを一から学習していく、無垢なAIロボット。演じるのはもちろんシャールト・コプリー。舞台ももちろん南アフリカ。

AIの開発者役にデーヴ・パテールと、そのライバル役でヒュー・ジャックマン、彼らの上司役にシガニー・ウィーバーを迎えてます。で、面白いのが、チャッピーをさらうギャング団の役として、ラッパー・グループ”ダイ・アントワード”のワトキン・チューダー・ジョーンズと、ヨーランディ・ヴィッサーが出てることですね。しかも役名も同じで。

ちなみに、日本で公開される際に、映倫の年齢制限を下げるために映像をカットして、それが監督の耳に入っていなかったとかで色々問題になってましたが、今回の記事ではその辺のことは省略します。取り急ぎ感想だけにするので……。
なお、アメリカでの公開は2015年3月6日。日本では5月23日封切りでした。

あらすじ

西暦2016年、南アフリカ・ヨハネスブルグの警察は、増え続ける犯罪に対抗するため、テトラバール社の人工知能を搭載したスカウトロボットを導入する。人間の警官と連携しながら犯罪と闘うロボは、警察から高く評価され、犯罪発生率の減少に貢献した。
ロボの開発者ディオン・ウィルソン(演: デーヴ・パテール)も、その功績を讃えられる。しかし、AIではなく人間の脳波で操作するロボ「ムース」を開発して、ディオンとの競争に負けたヴィンセント・ムーア(演: ヒュー・ジャックマン)は、ディオンのことを妬んでいた。
ある日、ギャングのニンジャ(演: ワトキン・チューダー・ジョーンズ)とヨーランディ(演: ヨーランディ・ヴィッサー)と”アメリカ”(演: ホセ・パブロ・カンティージョ)達は、警察に追われていた。彼らはヒッポ(演: ブランドン・オーレット)に借金していたが、その金を揃えることに失敗。ヒッポに猶予時間を貰おうと交渉していると、その場にスカウトロボを含む警官隊が到着し、銃撃戦となる。ニンジャら3人組とヒッポは逃げ出すが、スカウトロボの22号は修復困難なダメージを負い、廃棄処分が決まる。
そんな中、ディオンの長年の研究がいよいよ完成を迎えていた。それは、人間と全く同じように物事を学習し、「意識」を持つAI。彼はそれをスカウトロボに搭載しようと、上司のミシェル・ブラッドリー(演: シガニー・ウィーバー)にかけ合うが、彼女は現状のロボに満足しており、許可を出さない。諦めきれないディオンは、廃棄されかけの22号のボディと、全ロボのソフトウェアを管理するUSB端末を持ち出し、帰宅しようとする。
しかし、途中で彼はニンジャらに襲撃され、拉致される。ニンジャ達は強盗のために、彼を脅してスカウトロボ達を停止させるつもりだったが、ディオンの車に積まれた22号を見て、それを彼らの味方としてプログラムさせることにする。ディオンは、AIを22号にインストール。その瞬間、22号は「意識」に目覚め、人間を見てひどく怯え始める。まだ言葉も分からないそれは、子供のように教育を必要としていた。ヨーランディは、22号に”チャッピー”(演: シャールト・コプリー)という名前を付ける。ディオンは、自分のロボットがギャングの手に渡ってしまうことを恐れるが、ニンジャ達はチャッピーをギャングスタとして育てることにした――。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『チャッピー』

レビュー


 

人間も機械も

なんでこの映画が気になってたかというと、ずばり、「人間と同じように学習するAI」です。というのも、今や現実でも、AIとは自力で学習ができるもの、という見方が主流になっています。

以前は機械を「賢く」するには人間が知識を注入するしかないと思われていました。でも、工場にあるような単純な動きをすればいいロボットとはわけが違って、本当にロボットに知性を持たせようと思ったら、際限なく大量の「知識」を教え込まないといけません。
それに対して、近年では、自分で周りの世界のことを学習するAIが盛り上がってます。なんでそういうことができるようになったかというと、要するに脳神経科学の発展により、人間の脳の仕組みが分かってきて、それをコンピューターで真似することができるようになったからです。(詳しくは「ディープ・ラーニング」「機械学習」で検索。)

「チャッピー」もそんな、自律して学習可能なAIという、現実のトレンドに合わせた映画キャラです。
とはいえ、映画らしくそこはデフォルメされていて、何も学んでない生まれたばかりの状態を、人間の子供の状態になぞらえています。我々には、それが子供のロボットが成長していく様のようにしか見えません。

一方で、この映画でスカウトロボと対比されているのが、脳波で動かすロボット「ムース」です。つまり、開発者ヴィンセントの立場からすれば、それは人間の自律して動くエージェント(代理人)というよりも、人間の手足の延長にあるもの、「道具」
何というかブロムカンプ監督の作品って、単純明快な対立軸が持ち出されることが多いようです。この映画でいうと、要するに「機械は道具であるべき。機械に意識を持たせてはいけない」という立場と、「人間の意識を機械で再現したい」という立場。
映画がどちら側にいるかといったら、もちろん後者です。この作品には『ターミネーター』的な恐怖は無く、むしろ身近な存在としての、人格を持ったロボットに感じる悲哀や愛着があります。

映画のオチが、あえて「人間性」に固執しなかったのも、何だか非常にこの監督「らしい」という感じがあります。人の肉体がダメになるなら機械にすれば良いじゃない!っていう潔さ。そして、テクノロジーが人間を変えてくれることへのSF的希望。
実際、機械が人間のように意識を持つようになった時代というのは、人間の意識を機械で動かせる時代でもあります。人間と機械の間にあった隔たりはどんどん無くなっていきます。
私自身も、機械が人間に近づくことと、人間の身体が機械を受け入れていくことは、表裏一体の関係で進んでいくと思っています。人間はどんどん、自分に近いものを作っていく。それがあるレベルに達した時、それは自分自身と置き換え可能になる。

チャッピーというロボットに感じる人間的な愛着が、もう機械はこんなに人間に近づいているのだということを、私達に思い出させます。
明らかに顔やボディの表面は人間らしさが無いのに、妙に挙動が人間くさくてしょうがないのです。それに、ロボットなのに死の概念に怯え、自分に魂があるとさえ信じます。襲われそうになると泣き叫び、大切な人が傷つけられれば怒ります。
これも全部、その機械が学習した結果です。ディオンのような理知的な(そしてある種「創造者」としてのエゴを持つ)人間にではなく、能天気で場当たり的なギャング三人組に教えられた結果。
チャッピーを見ると、機械(人工知能)という存在が、本質的に無限の可能性を秘めていることを感じさせます。どんなことでも学べるし、その結果、唯一無二の個性・人格を作り上げることができる。
2010年代のロボットを扱うSF映画として、割とこの作品は今後も名前が引き合いに出される気がします。

雑感

ロボットの脳?

……ここまでポジティブに書いてきておいて何ですが、個人的にどうしても悪い意味で気になってしまって、最後まで入れ込めなかった点が、脳波計ヘルメットです。
「ムース」を操作するために使うヘルメットですが、百歩譲って、それを使って「人間の意識を機械に移植する」というところまでは良いんですよ。実際は脳波だけで人間の意識を再現するなんてどう考えても無理がありますが、まあ仮にそれは良いとしましょう。
でも、どうやっても無理なのが、人間用の脳波計で機械の「脳波」を計ることです。
(少なくとも現実の)脳波計は、人間の脳の中で起きる微細なニューロン発火をキャッチできるように特別に設計されたものであって、脳の無い機械には使えるはずがないんです。仮にもしもそれを可能にするとしたら、チャッピーの頭パーツの内部に、人間の脳と全く仕組みで動く、脳そっくりの器官がないといけません。
だから、チャッピーがヘルメットを被って、それで意識の解析ができてしまったシーンではたまげてしまいましたわ……。うーん、監督はどう考えてあれで筋が通ると思ったんでしょう。

テンション

あのしんみりするはずのシーンで不意に出てきたアレに、日本語の分かる観客は微妙な気持ちになったはずですが、なんで「テンション」なのか調べたところ、”ニンジャ”が”ダイ・アントワード”として出したアルバムの中に、”Ten$Ion”(テンション)というタイトルのものがあるみたいですね。
あとこの文字も、チャッピーのボディにスプレーでペイントされたはずです。

ヨハネスブルグを舞台にした日本SF

この映画を観た人に(観てない人にも)ぜひおススメしたいSFがあって、(映画ではなく小説なのですが、)宮内悠介の『ヨハネスブルグの天使たち』という作品です。

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

あらすじ:
ヨハネスブルグに住む戦災孤児のスティーブとシェリルは、見捨てられた耐久試験場で何年も落下を続ける日本製のホビーロボット・DX9の一体を捕獲しようとするが―泥沼の内戦が続くアフリカの果てで、生き延びる道を模索する少年少女の行く末を描いた表題作、9・11テロの悪夢が甦る「ロワーサイドの幽霊たち」、アフガニスタンを放浪する日本人が“密室殺人”の謎を追う「ジャララバードの兵士たち」など、国境を超えて普及した日本製の玩具人形を媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す連作5篇。才気煥発の新鋭作家による第2短篇集。

「ヨハネスブルグ」に「人型ロボット」という設定は、なんだか共通するものを感じます。それに、『チャッピー』の劇中に、中央に丸い空洞が開いた巨大なタワー(ポンテシティアパート)が出てきましたが、同じ場所を彷彿とさせるタワーが、この『ヨハネスブルグの天使たち』にも出てきます。(より重要な場所として)
『チャッピー』と毛色は違いますが、やはり機械と人間との関係を、貧困や民族の視点から考える非常に面白い作品ですよ。

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