映画『セッション』を観た (かんたん感想)

4月は2週連続で、アカデミー賞獲得作の公開でした。2週目に観たのがこれ。
もともと個人的にノーマークの映画だったんですが、一部の人が「『バードマン』を越える衝撃!」と絶賛して以来、気になっていました。

イントロダクション

音楽学校に通うジャズ・ドラマーの青年が、スパルタ教育の鬼教師に出会い、自らの音楽への情熱を次第に変質させていくドラマ。

監督は若手のデミアン・チャゼルで、自らも過去にジャズ・ドラムをやったことがあり、また厳しい教師に教えられたことがあったそうで、この映画はその経験が基になっているそうです。

主演はマイルズ・テラーで、劇中で実際に披露しているドラムさばきが本当に凄まじいです。そして、音楽界のハートマン軍曹と呼ばれそうな鬼教師役に、J・K・シモンズ。個人的に『スパイダーマン』シリーズの編集長役のイメージしか無かったのですが……、この映画では喋っていても黙っていても本当に怖かったです。

アカデミー賞で助演男優賞と編集賞、録音賞を受賞。アメリカでの公開が2014年10月10日で、日本では2015年4月17日に封切り。

あらすじ

19歳のアンドリュー・ニーマン(演: マイルズ・テラー)は、アメリカの名門シェイファー音楽学校で、ジャズ・ドラムの演奏をしている。ある時、学校の優秀な生徒を集めたバンドを率いる、フレッチャー教授(演: J・K・シモンズ)と出会ったニーマンは、勢い込んでドラムの腕を披露するが、フレッチャーはまともに聴かずに帰ってしまう。一度は落ち込む彼だが、授業中に抜き打ちで再びフレッチャー教授のテストを受けた際には認められ、彼のバンドへとスカウトされる。ニーマンは、憧れを抱いていた女性ニコル(演: メリッサ・ブノワ)をデートに誘うことにも成功し、満ち足りた気持ちになっていた。
しかし、練習の初日、彼は寝坊をして朝6時の集合に遅刻する。慌てて練習場所に向かったが、部屋には誰もおらず、実際の練習開始時間は9時だった。その時間が近づくとバンドメンバーが続々と集まるが、9時ちょうどにフレッチャーが現われた瞬間、部屋の空気は一気に張りつめたものとなる。事情をよく呑み込めないニーマン。しかし、練習が始まると、フレッチャーはバンドメンバーの一人の演奏の出来を、激しい罵り言葉で叱責する。メンバーはやがて泣きながら退場させられてしまう。
ニーマンもドラムを演奏するが、フレッチャーに「テンポが狂っている」と何度も指摘され、しまいには椅子を投げられ、頬を叩かれる。怒声を浴び続け涙を流したニーマンだが、その後、まさに血の滲むような自主練習に打ち込み始める。それは、フレッチャーに認められ、偉大なドラマーになるという夢を叶えるためだった。練習に時間を割くため、彼は付き合っていたニコルとも別れる。しかし、ニーマンは依然としてドラムの主演奏者の側で、楽譜のページめくりという役割しか与えられない。
ある演奏大会に出場した際、主演奏者から演奏曲「ウィップラッシュ」の楽譜を預けられたニーマンは、僅かに目を離した間に楽譜を無くしてしまう。楽譜無しでは主演奏者は演奏できないが、猛烈な自主練習によって楽譜を暗記していたニーマンは、自分が代わりに「ウィップラッシュ」を演奏すると名乗り出て――。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『セッション』

レビュー

自尊心と美意識

『セッション』には、若者の歪んだ自尊心と、大人の歪んだ信念とのせめぎ合いがあります。
ニーマンは、自らの才能と努力に自信を持とうとしていて、将来についてめらめらと燃える野心を持っています。一見すると平凡で謙虚な青年のようですが、フレッチャーのしごきに呼応するかのように、恋人に一方的に別れを切り出したり、音楽に理解の無い家族・親類を見下したり、果てはバンドメンバー、フレッチャーにさえも反抗的態度を取ります。まともそうでまともではない。
一方のフレッチャーは、完璧な音楽を目指すために、生徒の心を壊していきます。音楽学校退職後の彼を見る限りだと、指導法は意外と「柔軟に変えられる」ようですが(本人は自身のスパルタ教育を特別視していない)、いずれにしても目的は、生徒を服従させて自分の望むようなパフォーマンスまで持っていかせること。まともそうじゃなくて、やっぱりまともではない。

どちらも同じ音楽に接しているはずですが、どちらも接し方が間違ってると思わざるをえません。その二人の内面が、ジャズバンドをやる中で激しく火花を散らし、最終的には誰も予想しなかった音楽の境地まで、二人を連れて行く……。大まかに言うと、この映画はそんな物語です。
ただ、観ているうちに、私はこういう風にも思いました。つまり、この映画は「父性」や「教育」についての物語でもあるんじゃないかと。

「男の争い」

この物語は母親が不在です。離婚しているので当然ではあるんですが、それ以前に、女性性の影が薄いです。ニーマンが初めてニコルをデートに誘うシーンも、いかにも典型的なやり取りという感じで。そして、別れた後はニコルは一度も画面に登場しません。

それでも、主人公の父親(ジム)は一定の存在感を放っています。
初登場の映画館のシーンから、まず至って良好な親子関係がうかがえます。また、息子の将来をしっかり気にかけていることも分かります。ニーマンが退学になった時は、何よりも息子のことを心配して、フレッチャーを辞職させようとします。ある意味で、子を大事に思う父親としては当然の行動。
そして、ラストのコンサートの場面。元カノは来ないのに対し、しっかり来ているのが父親。さらに、一度舞台から下りたニーマンを真っ先に迎えて抱擁するのも父親。舞台袖からニーマンの狂気的なドラムを見守り続けるのも、父親。
何というか、さりげなくこの映画では「父性」が強調されているように感じます。

父性といえば、フレッチャーという教師も、物語におけるニーマンのもう一人の父親として見ることもできるんじゃないでしょうか。
(フレッチャーに限らず、)どんな学校でも教師というのは、子供・若者と長く付き合って成長させるという意味で、親代わりです。まあ、とてもフレッチャーのような人を親代わりと思いたくはありませんが……。ともかくニーマンは彼と厳格な師弟関係にあり、それはごく平和な父親関係と、暗に対比されています。
ただ、弟子や息子は、いつか師匠や父親を超えることを目指すものです。フレッチャーとニーマンの関係は一方通行的ではなくて、ニーマンの方も師への反抗心をくすぶらせています。
一方、師や父も一人の男であり人間なので、自分の信条とかプライドがあります。年下を育てることは、時にはそれらを脅威にさらすことにも繋がります。だから、弟子や息子を無批判に認めるとは限りません。
そこに父子の抗争、「男の争い」が起きます。

そしてこれは、ニーマンと父親ジムとの間には、起きていないことです。
ジムとの映画館のシーンで、ジムがポップコーンに自分の好みのレーズンをかけますが、ニーマンはそれが嫌いにも関わらず、それを言わずにただよけて食べようとします。ここで、子としてのニーマンの主張はありません。あのシーンは、少しの緊張も無い父子関係を、暗に示しています。
ここだけ見たら、ニーマンを「自己主張の乏しい青年」かと思ってしまうんですが、フレッチャーに出会ってからは、その印象も変わります。彼は自分の師に必死に喰らいつき、自分のことを認めさせようとします。

つまり、それまでの、緊張と変化のない父子関係にいたニーマンが、対立的な師弟関係に身を置くことで、精神的に変化しています。それがあのラストシーンにも繋がってくると思います。

大人と若者

何と言うか、ラストはほとんど台詞が無いため、あの二人が何を思ったかは、彼らの表情と音楽によって察するしかありません。二人の何ともいえない良い笑顔は、おそらく彼ら二人以外の人間には、全く理解できていません。あの鬼気迫るドラムは、凡人の世界では理解できない芸術の領域のもので、ニーマンはそこに到達できたのかもしれません。が、ここでもちょっと注目しておきたいのが、父親のこと。
ドラム演奏に戻ったニーマンを、緊張した不安げな表情で目撃する父親のワンカットが挿入されているのが、印象的でした。もはやあそこでは、父親の出る幕はありません。代わりに、ニーマンの音楽に合わせられるフレッチャーが彼と笑います。

父親ジムとフレッチャーという二人の「大人像」の違いの結果が、ここに現れるようになっています。片や、温かくて子供に優しい、私達の感覚に馴染み深い方の男。片や、狂気に走っていて、子供を褒めずに叱り続け、度を越した完璧さを追求する男。
あの父親のワンカットって凄く些細なものかもしれないんですけど、でも要するに、ニーマンは片方の大人の元を離れて、完全にもう片方の大人の、芸術の領域へ行ってしまっているんですよね。
しかし、それはある面では、ニーマンのドラマーとしての成長でもあります。
ニーマンは、フレッチャーのような教育者に出会わなければ、芸術に関わる人間として成長できなかったのでしょうか。そういうことを考えると、どちらの大人像がより良かったのか、単純に言えなくなってしまうようです。

個人的にはあのラストシーンは、一抹の後味の悪さを感じました。主人公達は間違いなく音楽を楽しむことができて、達成感を得ている。でも、それは世間の「凡人」の理解を得られない、別の世界に行ってしまって、もう戻っては来られないということでもあるので……。
でもこの映画は、その世界の一端を「凡人」の私達に見せつけてくれます。視覚的にも聴覚的にも。私自身は音楽の専門知識は一切ありませんが、この作品には、「叩く」という最もシンプルで根源的な演奏によって、強制的に私達をあるレベルまでドライブさせる感覚があります。
私もたぶん、ニーマンの父ジムのような顔でラストシーンを観ていたことでしょう。

雑感

編集について

観ていて全体的に、台詞による説明が少ないところに好感を持ちました。あと、映像のカットのテンポもとても小気味良かったです。
特に印象的だったのが、ニーマンが練習初日の朝に遅刻して駆けるシーンと、音楽コンサートの会場に辿り着くために車を借りるなどして奔走するシーン。バスがパンクするカットとか、レンタカー屋にドラムスティックを忘れていくカットとか、要所の情報を短い時間で台詞無しでポンと示して、すぐ次に行くというスタイル。好きです。ドラムも速いなら映像も速い。
ドラムといえば、映像無しでドラム音だけがひたすら聞こえる冒頭もたまらなかったです。「これから観客のテンションを強制的に上げます」という無言の宣言です、あれは。

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