映画『ベイマックス』を観てきた (かんたん感想)

遅ればせながら、ついに観ました。サークルの人達に誘われて。

イントロダクション

ディズニーマーベルを買収して久しいですが、とうとうマーベルコミックを原作とするディズニー・アニメーションが作られました。
映画の原作は『Big Hero 6』という、スーパーヒーローもののコミックスだそうですが、日本での映画宣伝ではそういった面はほぼ隠して、ハートフルなロボットの友情物語か何かのように見せていましたね。(NAVERですが参考までに→http://matome.naver.jp/odai/2141866561764500601)
その宣伝手法の是非は置いておくとして、個人的に久々に観たディズニーでございました。(……もしかしたら、初めて劇場で観たマーベル映画になるかも?)
アメリカでの公開は、2014年11月7日。日本での一般公開は、12月20日。

あらすじ

サンフランシスコと東京の文化が同居しているような近未来都市、サンフランソウキョウ。両親を亡くしている14歳の少年ヒロ・ハマダは、高校を飛び級で卒業するような天才科学少年。彼はその知能を生かして、違法のロボットバトルに熱を上げていたが、兄のタダシはそんな弟の様子を見かねて、彼の工科大学にヒロを連れて行く。
最先端の科学技術が集まる研究室で、タダシは、真っ白で丸い図体のケアロボット、「ベイマックス」を開発していた。数々の研究に刺激されたヒロは、この大学に入ることを決意する。そのための条件とは、大学の研究発表会で、タダシの教官であるキャラハンに認めてもらえるような発表をすることだった。ヒロは、使用者の神経活動に従って自在に動かせる無数の微小ロボット、「マイクロボット」を開発する。発表を成功に収めた彼は、直後に技術会社の社長クレイに、巨額の報酬でヘッドハンティングを持ちかけられるが、それを断ってキャラハン教授の下で学ぶことに決める。
成功を喜び合うヒロとタダシ。しかし、二人が会場を出ると、そこで火災が発生する。屋内に取り残されたキャラハンを助けようと、タダシは火の中へ入っていってしまうが、直後に爆発が起き、キャラハンとタダシは帰らぬ人となってしまった。悲しみのあまり、ヒロは大学にも入らず、全てに無気力になってしまう。
ある日ひょんなことから、ヒロは兄の遺品であるベイマックスを起動させてしまう。傷心のヒロをケアしようとするベイマックスに振り回されていると、ヒロはマイクロボットの一つが室内で独りでに動いているのを見つける。マイクロボットの制御装置は、火災の際に焼失したはずが、彼が見つけたロボットはどこかに集まろうとしていた。ベイマックスは、その場所を探すために勝手に外に出てしまう。慌てて追いかけたヒロは、行く先で怪しげな廃工場を見つける。そこで、大量のマイクロボットが生産されていたことを知るが、直後にそれを操る仮面を被った男に襲撃され――。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『ベイマックス』

レビュー

ロボットとの付き合い方について

これがディズニーの時間感覚なんでしょうか。冒頭からとにかく、もの凄いテンポの速さで、物語がとんとん拍子に進みます。
サンフランソウキョウの空撮→ロボットバトル→主人公ヒロの紹介→兄タダシの登場→ヒロの家庭→工科大学へ→タダシの同期の紹介→ベイマックスとの出会い……という展開が、テキパキと見せられます。情報量はそれなりにあるはずですが、それでも絶妙な具合で物語への観客の没入感を促しているところは、もう凄いとしか言いようがないです。

さて、この冒頭では、ヒロのロボットについての当初の熱意が、タダシの研究に触れることで変化する兆しが描かれます。
最初の賭けバトルは、ディズニーでやって良いのかとまで思わせるような、なかなかのアングラ感がありましたが、「ロボットと言ったら、戦わせることだ」というような価値観を表現している場面です。しかし、タダシの研究は、それとは正反対のところを目指しています。傷ついた人の身体と心の健康を守ることです
同じロボットというものに対する、二つの対照的な見方が出てきています。

Wikipediaの「ベイマックス」のページでも引用されていた記事(※英語)によれば、監督の一人ドン・ホールは、「西洋文化でいうテクノロジーは、しばしば悪役として描かれる」と述べています。確かに、「ターミネーター」しかり、「HAL9000」しかり……。
対照的に、「日本ではテクノロジーとは、より良い未来への道だ」と述べられています。「鉄腕アトム」や「ドラえもん」などがイメージできます。実際はそれらが昭和の、まだ科学によるバラ色の未来が想像できた時代に作られたキャラクターであって、現実にはそういう未来が訪れていないにしても、その価値観は今も日本では根付いていると思います。
和洋の入り混じったサンフランソウキョウという世界では、ベイマックスはバトル用のロボットと対照に置かれるような、物理的にも機能的にも「ソフト」なロボットの方です。

ところで、ヒロが最初に開発した「マイクロボット」は、神経トランスミッターによって使用者の意志を読み取って動きます。言い換えれば、使用者がたとえどんな意志を持っていても、それを忠実に具現化してしまうロボットです。つまり、使う者に悪意があれば、途端にマイクロボットは凶悪な道具と化してしまいます。
一方、タダシが開発していた「ベイマックス」は、使用者に意見することができるロボットです。というか厳密には、彼は自律的に誰かをケアするために動いているロボットなので、ベイマックスに限っては「使用者」という概念も無いかもしれません。

要するに、ロボットは単なる道具か否かというテーマが見えてきます。
ヒロは、おそらく最初は自分でも気付かないうちに、ロボットを道具として見ていたのだと思います。子供の小さな身体でも、大人と堂々と張り合える手段としてのロボット。彼の溢れる創造力がマイクロボットを作り出しますが、彼はテクノロジーがいつでも良い目的によって使われるとは限らないということを、見落としていました。
そんな彼が出会ったベイマックスは、何かと人間にお節介を焼く存在です。健康状態は? 身体の痛みは? 心の痛みは? 1から10まででどのくらい? ヒロも当初はベイマックスを多少鬱陶しがっています。仮面の男と遭遇した時も、戦うこともできず、図体がデカくて足の遅いベイマックスを引っ張らなければいけませんでした。
戦闘用のプログラムをインストールした時も、やはりベイマックスをいくらか道具として見ている節があります。だから、キャラハンを最初追い詰めた時、ヒロの命令に従うことを拒否させるタダシのケア用プログラムを外してまで、それを実行させようとするのです。

しかし、ベイマックスはヒロに「意見」します。道具としてではなく、ケアする存在として。それを通じて、ヒロは見方を改めていきます。
道具以上の存在ということは、人間を「止めてくれる」存在でもあるわけで、肉親を全て失ってしまったヒロにとって、そして彼のヒーローチームにとって、ベイマックスはとても重要な存在になるわけです。
愛する存在を失った時、復讐に走る人間を止めてくれなかったロボットと、止めてくれたロボット。キャラハン教授とヒロの違いは、そこにありました。

「人間に止められなくなってしまったロボット」というのは、過去に多くの作品で出てきたわけですが(前述したように)、一方で「人間を止めてくれるロボット」ってなかなか新しいと思いませんか。
それはロボットに優しさを搭載するということであり、開発者であるタダシが込めた願いでもあります。人間が、便利で都合の良い存在ばかりで自分の周囲を埋めてしまうことへの、一種の抵抗かもしれません。
そこに必要なのは、余計なお節介ではなくて、「あなたのことを気にかけていますよ」という愛情。
また、もしヒーローのメンバーに、戦うためだけのロボットがいても、それは便利な道具以上の存在になりえないかもしれません。ベイマックスは、ヒーロー活動と己の復讐を混同しようとしているヒロの目を覚まさせてくれ、その点で彼は立派に信頼される存在になっています。
原題は『Big Hero 6』ですが、ベイマックスが人間と共にその6人のうちに入っているのは、そういう意味づけがあると思います。

ふと思えば、劇中に登場した様々なロボットの中で、人間と直接対話できるものってベイマックスしかいなかったですよね?
そうだとしたら、これもちょっと意味深かもしれませんね。

雑感

「1から10までで……」

観てて密かに感心してしまったシーンがあって、ベイマックスが痛がるヒロに対して、「1から10までで言うと、どのくらい痛いですか?」というようなことを、アイコンを表示しながら尋ねるシーンです。
あれ、「フェイス・スケール」(※参考)と言って、実際に医療の現場でも使われている指標だそうです。要するに、「痛み」というのは人によって表し方が様々なので、それを客観的に知るために使われます。この方法の利点は、まさに子供でも外国人でも、誰にとっても分かりやすくて優しい答え方ということです。(ヒロには「ゼロ」と答えられてしまいましたが。)
製作スタッフがちゃんと取材をやっていたというのが分かりますし、タダシの「より多くの人を助けるロボット」としてベイマックスを作ったという思いが暗に伝わってくるようで、ナイスだと思います。

SF

サンフランソウキョウの略字「SF」が色んなところに出てきましたが、SF(サイエンス・フィクション)要素も結構ありましたね。
磁力によって自由自在にくっつき離れるバトルロボットであったり、神経活動を読み取って動く小型ロボットというのは、多分10年もしないうちに実現してる気がします。
ベイマックスのスキャン機能もかなりのもので、体外から瞬時にその人の血液型、心拍、果ては神経伝達物質の挙動までスキャンしてしまうのですから、優れものです。しかも距離を問わない。
ただ、仮面の男を探すために、街中の人間を断りなしに一斉にスキャンするというのは、倫理的にいかがなものか……。
と、そういった「健康や正義」と「プライバシーの保護」が衝突する問題を取り入れてしまうと、途端にこの映画がハードSFになってしまうので、考えないようにしましょう。

今週のスタン・リー

フレッドの家の絵画の中だけでの登場かと思いきや、まさかのエンドクレジット後に……。
自分と一緒に映画を観に行った人は、ほぼ誰もスタン・リーを知らなかったので、ましてや子供にも伝わんないでしょう。
というわけで、『ベイマックス』を観て育った子供が、大人になってこれと同時代のマーベル映画を観た時に、「あれ……、このおじさん、ベイマックスにも出てた人や!」と再発見する話がいつか出てくるのを期待しております。

短編「犬とごちそう」

『ベイマックス』の本編前に、短い映像作品が挿入されていました。
台詞らしい台詞は一言もありません。ある男性に拾われた野良犬の姿を、速いテンポで描きます。
カメラワークが常に犬の目線の高さで、犬から見た世界というのがよく分かりやすいです。一方で、餌をあげる人間の挙動の変化によって、物語が進みます。どうにも顔や姿が見えないと、私達も犬と同様、どういうことになってるのか分からなくて、不安になったりしました。ついつい大人目線で見てると、超絶バッドエンドとか覚悟してしまったりするのですが、しかし、やがて犬の勇気ある行動が飼い主を動かしてくれます。
CGで描かれた犬の仕草がとてもリアルで、本編が始まる前から映像に引き込ませてくれました。

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