映画『トラッシュ! この街が輝く日まで』を観た (かんたん感想)

2015年最初に映画館で観た映画はこれにしました。昨年YouTubeで観た、この映画の(国際版)トレーラー映像の広告に心惹かれたので。

公式サイト:http://trashmovie.jp/

イントロダクション

スティーブン・ダルドリー監督による、ブラジルのスラム街を舞台とした、同名の小説の映画化。脚本は、最近『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』が評判らしいリチャード・カーティス

特筆すべきことに、主役であるキャスト3人は、実際にブラジルに暮らす、演技経験の全く無い無名の子供達です。これだけでも、生半可な試みじゃないと思います。
彼らを支えているのは、マーティン・シーンルーニー・マーラなどのアメリカ俳優。その他、現地ブラジルの有名役者陣も出演しているようです。

ブラジルでの公開が、2014年10月9日。日本では2015年1月9日に封切り。イギリスでは1月30日だそうなので、珍しく日本の方が速いですね。

あらすじ

ブラジル・リオデジャネイロ。ジョゼ・アンジェロ(演: ワグネル・モウラ)の財布の中には、金とIDカード、コインロッカーの鍵、娘の写真、ポケットカレンダー、そしてアニマル・ロトのカードが入っている。警察に追われた彼は逃げ出すが、銃撃される。追い詰められたジョゼは、とっさにその財布をゴミ収集車に投げ入れた。ジョゼは逮捕され、財布はゴミの埋め立て地へと運ばれた。
14歳のラファエル(演: リックソン・テベス)は、そのゴミ山で働く、スラムの少年。財布を拾った彼は、友達のガルド(演: エデュアルド・ルイス)と中身の金を分け合うが、他に入っていた奇妙な品々のことが気になる。程なくして、警察がそのゴミ山へ来た。警察官のフェデリコ(演: セルトン・メロ)から、財布を見なかったか訊かれたラファエルだが、彼は汚職にまみれた地元警察を信用できない。二人が財布の中身を、同じスラムに住む少年、通称”ラット”(ガブリエル・ウェインスタイン)に預けようとすると、ラットはロッカーの鍵に見覚えがあるという。
かつてラットが住んでいた都心に向かい、三人は警察の目をかいくぐりながら、問題のロッカーを見つける。中身は、刑務所の囚人らしい人物に宛てられた、一通の手紙だけだった。その間にフェデリコは、ゴミ山での財布捜しに協力すると言っていたラファエル達の姿が見当たらないことに気付き――。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert!↓〉
・映画『トラッシュ! この街が輝く日まで』

レビュー

ささやかな善意が繋がる

「ブラジル」と聞いて、多くの日本人がイメージできるのは、サッカーとか、山の頂上のキリスト像ぐらいです。私もそんなもんです。
ですが、この映画は当然、そんな通り一遍のブラジルの光景を映してはいません。誰かがサッカーをしている所も、キリスト像も、映画ではそれぞれほんの1シーン程度しか映りません。
代わりに何が描かれているか。汚職、腐敗、犯罪、貧困です。映像の大半は、ありとあらゆるものが掃き寄せられるゴミ山、ペットボトルの浮かぶ茶色の水の池、大勢の人がひしめき合って暮らすスラム街のために割かれています。

ラファエルは、そんなブラジルの”暗部”とされるような場所で暮らす少年です。彼にだって生活があります。ゴミ山で働くのも、生活のためのお金を工面するため。ジョゼが希望を託して投げ捨てた財布を見つけた時も、まずはお金に注目します。
しかし、彼も、彼の友人も、国を蝕んでいる腐敗に当てられてはいません。財布を拾った金で、ドラッグとかさらに暗い世界に手を伸ばしたりはしません。
ラファエルは、自分でもよく分からない善意に従って、財布を警察から隠すことに決めたようです。

こんな風に、善意がこの物語を進めている力です。
善意は、主人公の三人組だけにあるものではありません。よくよく映画を観ていると、それ以外の人の善意に彼らが助けられていることが分かります。
まず三人を見守る神父とオリヴィアがいます。彼らがいなかったら、それこそ三人は悲惨なまでに荒んだ少年になってたかもしれません。
ただ、名も無き人々にも、三人は度々助けられてます。例えば、サントスの屋敷に潜入したラファエルとラットを見逃した使用人。ガルドを警察からかくまい、その後皆をバイクに乗せた女性。三人をバイクで運んだ青年達。
実は誰よりも重要かもしれないのは、ラファエルを撃たなかった警官。同僚に腰抜けと言われながらも、子供を撃てなかった人です。それまでは、汚職にまみれて硬直しきっているように描かれてきた警察ですが、人間臭い彼の存在が、民衆の間にまだ息づいているささやかな善意の存在を感じさせます。

ジョゼがわずかな希望に賭けて投げた財布が、無邪気な子供達に受け取られる。財布の中身が、一つ一つリレーのように三人を導いたように、三人がジョゼから託された善意もまた、別の善意を呼んでいます。

善行と悪行を見分けるのは、信念/信仰?

ところで、この映画が、キリスト教的な象徴や価値観を多分に取り入れていることは、容易に気づけます。
「ラファエル」や「ガブリエル」という名前は、一般的な名前であるものの、当然聖書に出てくる天使のものです。(「ガルド」の由来は分からなかったのですが……。)
彼らはジュリアード神父らから世話を受けています。スラム街が焼き払われた後は、教会は「神の家」として、家なき人々を可能な限り受け入れています。
また、終盤で、ジョゼの娘が教会をバックに佇んでいる初登場シーンは、まるで天使のような神々しさを感じさせます。そもそも、「アンジェロ」(Angelo)という苗字が天使を指しています。
そして、リオに住む全ての人々の喜びも悲しみも、巨大なキリスト像によって見守られています。

聖書のページを暗号の鍵にするというのは、サスペンスとしてはありふれた仕掛けですが、これだけキリスト教の価値観が中心的となっている作品なら、それも必然かもしれません。
少し興味深いのが、三人組が聖書を悪人から金で買うところですね。しかも、三人は、その費用を神父の金庫から失敬しています。

賄賂を始めとして、劇中では色々な犯罪的行為が働かれてますが、それは三人組・オリヴィア・ジョゼも同じです。ジョゼのおじに面会するために賄賂を払ったり、屋敷に不法侵入したり。悪い事をしてるのは、汚職警官達ばかりではありません。
しかし、子供達も苦しんでいます。黙って神父からお金を持ち出したりすることに。「神様は許してくれるかな?」「神様はお金なんてくれない」
でも、少年達は自分の信じる正しいことをするために、あえて法律上悪い事をして、警察から逃れなければなりません。

汚職を働く役人や警察などと、三人組・オリヴィア・ジョゼらとの間に、何か違いがあるとすれば、もしかしたら信念とか信仰なのかもしれません。
キリスト教では最後の審判の時、その人の行ってきた善悪によって裁かれると教えられています。敬虔な信仰者と不敬な者とが全て見分けられることになりますが、それなら、善の信念を持った上であえて行った悪事は、許されるのでしょうか。
でも、三人組やジョゼのやった事は、結果的に善い事だと思えるのです。彼らのやったことは、より大きな悪を覆すための小さな悪というか、より多くの人を助けるために仕方ない事というか。結果として、彼らの成した事は、多くの貧困層を助け、勇気づけることでした。

善意を持っていれば、どんな事をやっても許されるのか、それは単純な問題ではありませんが、少なくともラファエル達の心には、サントスやフェデリコ達には無いようなものがあるようです。
三人組が聖書を悪者から買ったのも、何だか「悪者から聖書を取り戻した」という構図に見えませんか。ラファエルが警官達に向かって、「オレ達の聖書だ」というような事を言いましたし。
ともかく、現在の体制に縛られて硬直しきった大人達にはできないことをやってのけたんです、三人の少年達は。
ラストで、あれだけ簡単にネット上で彼らの声が拡散され、運動に繋がるのかは確かに疑問ですが、それだけこの映画は、人々の間にある善意を信じたいんでしょう
その様は、観ていてとても純粋な希望を感じさせてくれます。誰かが始めた善意を、また誰かが受け継いでいく。この世の誰もが望みを失って金の事ばかりに執着しているのではなくて、何かを信じて自分のことを危険にさらすことができる人がいる。
そして、そういう人がいる限り、社会は変わるチャンスがあるかもしれません。

現実のブラジルの社会問題を反映した作品としても、エンターテインメント作品としても、観客を惹きつけることができる、素晴らしい映画でした。

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