2014年名古屋SFシンポジウムに行ってきた 簡易レポート

以前から何度かTwitterでも言及してきましたが、昨日9月27日に開催された名古屋SFシンポジウムに参加してまいりました(サークルメンバーと共に)。
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個人的にこういった文芸関連のシンポジウムに参加するのは初めてでしたが、パネルの内容に興味がありましたし、SFについてしっかり勉強したいと思うところもありまして、行ってまいりました。

一言で言って濃密でしたね。次から次へと国内外・新旧問わずSF作家・作品名がパネリストの口から飛び出してきて、恥ずかしながら付いていくのに必死……という感じでした。
とはいえ、今回貴重な体験ができて大満足です!

そんな今回のイベントの内容をレポート……ですが、正直どこまで内容を覚えているか怪しいのと、個人的に疲れが溜まってることもあって、あまり本格的には書けないかもです……。
というわけで、イベント終了後の自分の感想ツイートを引用しつつそれを補足していく、という感じの手抜き簡易レポートでよろしければ、以下に書き起こします。頑張って記憶も掘り起こします。

イベント開始前

東山線星ヶ丘駅にて、サークルの友人達と待ち合わせ、会場である椙山女学園大学に向かいました。個人的に道中の星ヶ丘テラスのあまりのオシャレさに早くも萎縮気味でしたが。
坂の上に見えてきた女学園の正門をくぐり、正面に進むと、ありましたありました。

看板の右手にメイン会場があり、左側が物販コーナーでした。物販では、今回のパネリストに関連した書籍や、名古屋大学SF研究会の部誌などが販売されてました。(自分は財布の中身が寂しかったので手が出せず)

シンポジウム本会場に入ります。聴衆を見ていると、流石に社会人以上の年齢層の方が大半なようで、あんまり大学生の姿は見えないようでした(たぶんもっといたでしょうけど)。

第1パネル「SFと翻訳」

前半のトークテーマは、ずばり翻訳もの。私もともすると海外小説ばっかり読んでるので、このお話には興味がありました。
パネリストは、中村融さん(翻訳家、『五つの月が昇るとき』など)、大野典宏さん(ロシア・東欧圏のSF翻訳家)、舞狂小鬼さん(SFファングループ・アンビヴァレンス所属。読者代表として登壇)のお三方。司会は杉山女学園の長澤唯史教授。

まずはパネリストそれぞれのこれまでの経歴やお仕事、関わった書籍についてトーク。
特に、スラヴ圏のSFという、個人的に馴染みの薄い世界についての大野さんのお話が興味深くて。たとえばソ連時代、西側世界であればファックスで海外とやり取りできたのに対し、ソ連ではほとんどファックスが普及していなかったため、書籍についての情報を得るには自らの足で出向いてコネクションを築くしかなかった……という時代だったそうです。
あと、

これの前半にもある通り、計画経済では出版の計画まで決まってたそうなので、それを入手することで書籍や注文の情報を得ていたそうです。驚きでした。

続いて、翻訳の大変さについての話に。
中村さんの、「日本語に翻訳する時は、元の英語を破壊しなければならないと教わった」という趣旨のお話がメモに残っています。つまり、原文の単語や構造を愚直に忠実に訳していっても、日本語として読みにくかったらダメということらしいです。文芸である以上、機械的に意味を異言語に変換していって上手くいくかといえば、そうでもないそうです。たとえば、原文の三人称的記述のところを一人称的に変えたり、長文を適度に区切ったりなど(大野さん曰く、東欧圏でもセリフが数ページ続く文章があったりとのこと)の工夫が要ります。もちろん、原文の言わんとする意味から変わらないことは大前提。

関連して文体についての話になり、やはり英語と日本語の文章の大きな違いは視点だそうです。上のツイートの後半のようなことが話されてました。
確かに、思い返してみると一人称の日本小説って思いつきやすい気がします。SFでいえば伊藤計劃なんかは、一人称で小説を書くことに執拗にこだわってた人で、著作はほぼ全てが一人称一視点です。(短編『フォックスの葬送』は三人称的文章が見られますが、それもよくよく読むと一人称の語りの一部に過ぎません。)

反対に、海外小説はというと、いわゆる「神の視点」の文章が広く出回ってるとのことです。あるいは、一作品内で人称が入れ替わる例も(個人的に少数思い当たる作品がありました)。

続いて、近年の翻訳ものの出版状況の厳しさについての話題で、最近の日本の若い読者には翻訳ものはとっつきづらいのでは、という話に。海外小説を読みづらく感じたという椙山の学生さんのケースを紹介されて、一人称もの、あるいは視点の入れ替わりが大抵限られてる日本の小説に慣れてると、いざ「神の視点」的な、同じ段落内で視点の定まらない文章が読みづらく感じるのでは……という感じ。
まあこれも慣れの問題なのかなぁ、とは思ったりしましたけど。

他に、翻訳にはつきものの「誤訳」の話題も。宇宙航行についての文章なのに、途中でいきなり「(神話生物の)ケンタウルスが……」という文が始まって「???」と思って調べたら「アルファ・ケンタウリ」のことだった……など、笑えるケースもあれば、文章の解釈そのものが変わってしまう重大なミスもあったり。
「もし原文の方が明らかに間違っていたら?」という質問には、「自分の判断で修正する」というお答えが。「(作者にこの部分はこれで良いんだと言い張られて以来)もう作者に聞かないことにしました」には笑いました(どなたの発言だったかは失念してしまいました)。

第2パネル「アニメ漫画の中のSF」

休憩をはさんで後半戦。パネリストは、八代嘉美さん(京大iPS細胞研究所准教授。SFの評論活動も)、山川賢一さん(文芸評論家、「まどか☆マギカ」や「エヴァンゲリオン」などについての評論など)、片桐翔造さん(名大SF研究会OB。『サンリオSF文庫総解説』に寄稿)、伊部智義さん(名大SF研究会会員の三年生。私より若い……!昨年は会誌製作も)の4名。司会進行はSF研究家の渡辺英樹さん。

近年ではアニメ『サイコパス』などのように、SFの名作に言及した作品も増えているそうでして、それらを念頭に置いたSFの解説がありました。

〈↓ネタバレあり Spoiler Alert↓〉
・アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』
・特撮『仮面ライダーBLACK』
・映画&小説『2001年宇宙の旅』
・小説『ダレン・シャン』
・ゲーム『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ』

パネリストお一人ずつがプレゼン形式で話されてました。
トップバッターは山川さんで、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』についての解説から開始。のっけからアツいです。あふれんばかりの情熱で作品について語っておられました(時間オーバー気味で)。
自分は『まどか~』は観てなくて、なのにネタバレはちょっと知ってるという面倒な野郎なんですが、山川さんによれば、この作品の世界観は「敵の用意したルールに従ってしか戦えない」ものだそうです。主人公たる魔法少女達は、魔女と戦うことになるのですが、しかしそれは彼女らを魔法少女にしたインキュベーターによって支配された戦いだった、という状況で、主人公は戦うべきかどうか苦悩する、という構造です。
このアニメの脚本家の虚淵玄氏は、『仮面ライダーBLACK』に影響を受けていたそうです。そこでは主人公ライダーはシャドームーンという敵と戦いますが、そもそも彼らはゴルゴムという存在に肉体改造された戦士で、どちらが勝ってもゴルゴムの思惑通りに事が運んでしまう……という構造。確かに類似してます。
同様の構造を持つ他の作品として、『新世紀エヴァンゲリオン』、『少女革命ウテナ』、『風の谷のナウシカ』漫画版、『地球へ…』などが挙げられてました。
ではその原点とは? というところで、なんと『2001年宇宙の旅』に行き当たります。(こちらは小説版は読んでます。)
もうあらすじは書きませんが、要するにこの作品でも、人類(ボーマン船長)は機械(HAL9000)の起こした反乱を戦った末に生き残りますが、そもそも彼らをここまで導いたのも、モノリスを配置した宇宙生命(?)体であって……という構図があります。最後、ボーマン船長は彼らによって、人間を越えた上位の存在(スターチャイルド)として進化します。

山川さん(の発表用レジュメ)によれば、この『2001年~』の構図は特に日本のサブカルチャーにおいて、「望ましい進化の方向性は存在するのか?」という問題としての性格が強くなったそうです。またそれと併せて、たとえばヒーローものでは「何が正義なのか」というテーマとも絡められてきたようです。
言われてみれば確かに……という感じで、お話を聴きながら、「そういえば
あの作品もこれと同じ構図だなぁ」と考えていました。

こちらは『仮面ライダーBLACK』と同じ構図を感じました。

こちらは厳密に言うと、どちらか戦いに勝った方が上位の存在に進化するという構図ではなく、「人類全体を管理するシステムのシミュレーション」の駒として闘わされていた、という方が正しいですが、ともかく「(自分より上位の)敵が用意したルールに従ってしか戦えない」という世界観、「自分は何の意志で戦ってきたんだ」という苦悩は重なるところもあるかと思ってます。

長くなりましたが、二番手は片桐さん。アニメ『キルラキル』に登場する、生きた繊維「生命繊維」のルーツを探ります。バリントン・J・ベイリーというイギリスのSF作家の『カエアンの聖衣』というお話で、意志のあるナイロン繊維が登場して……というお話でした。実はそれともう一つルーツといえる日本の作品が紹介されていたのですが、残念ながら失念してしまい、調べても見つからず……すみません。(補足してくださる方求めます。)
これに関連して、アメコミ『スパイダーマン』に登場するヴェノムなど、自分の意志を持っている衣服の作品が引用されていました。

三番目は伊部さんで、ご自身が愛してやまない「モンスター娘」「人外娘」について話されていました。その愛の深さたるや。漫画『モンスター娘のいる日常』、『深海魚のアンコさん』などを皮切りにモンスター娘という一ジャンルを解説された後、『セントールの悩み』という漫画の紹介へ。脊椎動物が現実と異なる進化を遂げ、多様な形態をもった人類が当たり前のように生活する世界を描いていますが、そこではかつて、異なる身体的特徴について差別や争いが繰り返されてきました。現在ではその反動からか、むしろ過剰なまでに平等を強調する社会が出来上がって……という感じです。ある巻の表紙絵では、半人半獣など色々な姿をした人間が乗っている電車が描かれていましたが、良く見ると車内に席が一つもない。これは、身体的に座れる人間/座れない人間という差別を無くすために、席を取っ払ってしまえ、という作品世界の価値観を端的に示しているとのことで、興味深かったです。
このジャンルのルーツとして、小説『地球の長い午後』、『竜の卵』、『イリーガル・エイリアン』などが紹介されていました。
そして最後、このモンスター娘という、最近ようやく勢いに乗ったばかりのジャンルについて、伊部さんから聴衆へ支援をお願いするメッセージで締められました。あの熱い想い、彼は本物の伝道者でした……。

トリは八代さん。フィクションではない本物のサイエンスの最先端、iPS細胞についての解説でした。
研究で利用されるネズミの身体には、元々の自分由来の細胞と、人為的に操作された細胞とが同居することになります。黒っぽいネズミの一部に白い毛の部分ができたり。こういう風に異なる身体の細胞からなる一個体を「キメラ」と呼ぶそうです(この説明で合ってるのか…?)。キメラというと、漫画『鋼の錬金術師』などにも出てきたような、異なる動物の身体をつぎはぎした異形の生物を連想しがちですが、八代さんによればあれは生物学的に「ハイブリット」と呼ぶらしいです。
他にも色々と込み入った説明がありましたが、最後にはこれまでのパネリストの話も上手く取り入れながら絶妙なまとめを披露。

こうしてシンポジウムは幕を閉じました。

おわりに

自分のSFの知識なんてまだ全然浅くて偏っているので、今回色々な分野の方のお話を聴けてとても良かったです。正直全部理解できた気はしませんけど……。
まだまだ名古屋ではこういったSF関連のイベントは少ないそうですが、今回のパネリスト・聴衆双方の熱心さを見る限り、きっと需要はもっとあると思いました。

今後もぜひ続いてほしいと願いつつ、自分ももっと本を読まなければと思わせられた、今回のシンポジウムなのでした。

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