映画『トランセンデンス』を観てみた (かんたん感想)

5月の頃、当時書いていた小説の内容に関して、ネット上でいろいろ調べものをしていたところ、とあるニュースサイトの記事を読んでこの映画の存在を知りました。
詳しくはリンク先を参照してもらうとして、私がその時何を調べていたかというと、人工知能の理論や技術の現在について、です。
ちょうど高度な人工知能が登場するSFものを書いていたところだったので(念のため作品名は伏せますが)、この映画の内容にも俄然興味が湧いてきたのでした。個人的タイムリー。

映画『トランセンデンス』ポスター

映画『トランセンデンス』ポスター

映画『トランセンデンス』公式ホームページ http://www.transcendence.jp/

イントロダクション

製作総指揮にクリストファー・ノーラン(映画『ダークナイト』シリーズ、『インセプション』など)を迎えて作られた、SFサスペンス。ノーランといえば、今度公開される『インターステラー』などのように、SFに強いイメージがあります。
監督は、ノーラン作品で撮影監督を務めてきたウォーリー・フィスター。今作で監督デビュー。
そして、主演には、お馴染みジョニー・デップ。個人的にすっかりディズニー作品やティム・バートン作品の専属俳優というイメージが付いてしまったのですが、今作では、コンピューターに意識を移植される人工知能学者を演じます。ヒロインにはレベッカ・ホール(ノーランの映画『プレステージ』に出演)。脇役にはポール・ベタニーケイト・マーラ、そしてやはりノーラン作品でもお馴染みのキリアン・マーフィーモーガン・フリーマンなど、安定のメンバーを揃えます。
米国での配給はワーナーで、公開は2014年4月18日。日本での公開は同年6月28日。

あらすじ

“5年前”、人工知能学者ウィル・キャスター(演: ジョニー・デップ)は、同じく研究者であり、妻であるエヴリン(演: レベッカ・ホール)と共に、最先端の人工知能PINNの開発に携わっていた。ある日、夫婦は人工知能が作る未来についての講演会で、共同研究者である神経生物学者のマックス(演: ポール・ベタニー)と会い、共に講演する。マックスらは、高度に進化したコンピューターが、病気や貧困などの問題を解決してくれると信じていた。そしてウィルは、コンピューターが人間の知性の限界を越えて進化する瞬間、「トランセンデンス」の可能性を解説した。
一方、テクノロジーの発達が人類を破滅に導くと信じるブリー(演: ケイト・マーラ)が率いる過激派組織R.I.F.T.は、人工知能研究などに関わる重要な研究者らを同時多発的に襲撃。講演会を終えたウィルも、彼らが放った銃弾に倒れる。何とか一命を取り留めたウィルだったが、銃弾に含まれたポロニウムが既に彼を汚染しており、あと数週間の命だと分かる。
ウィル達夫婦は、PINNの研究をやめて残りの時間を共に過ごそうとしたが、エヴリンは、襲撃によって死亡した研究者の一人が、サルの意識をコンピューターに移すことに成功していたことを知る。僅かな可能性に賭けて、彼女はPINNのコアを用いてウィルの意識をコピーしようとする。当初反対していたマックスも結局協力し、ウィルの精神の移植作業が進む。ウィル本人の死亡後、エヴリンとマックスは彼の意識を再現しようと試みるも、解析に失敗したと判断。しかし、データを消そうとする寸前で、画面に独りでに文字が浮かび上がった。
“誰かいるのか?”

レビュー

未来の限界

何となく、本当に何となくですが、最近のSFが描く未来は、より近くなっているように感じています。
去年見てこのブログでも紹介した映画『エリジウム』も、今の世界の貧富の格差をSF世界に落とし込んだ作品でした。現在私が読んでいる、宮内悠介の小説『ヨハネスブルグの天使たち』(2013年)も、”今”の世界の紛争、民族問題、宗教問題、貧困が保存された近い未来を描いています。もう少し遡って、日本のSF界に影響を与えた、伊藤計劃の小説『虐殺器官』(2007)も、9.11を引きずる高度な管理社会を描き出しています。

もちろん、こんな少数の例を取り出してもしょうがないです。ただ今の私達が想像する未来が、50年前の人々が想像していた未来とどれくらい質的に異なってきたかを考えてみる価値はある、と言いたいだけです。アポロ11号が月面着陸を果たす前年の1968年、映画・小説『2001年宇宙の旅』を観た・読んだ人々は、「2001年」という未来に対してどんな感覚を持っていたのでしょうか。1974年当時、宇宙戦艦ヤマトが発進する「2199年」を知った人々は、数十年後をどんな風に想像していたのでしょうか。
本当のところは当時を知る人に聞いてみるのが一番ですし、昔の人の未来予想図とかをググってみるしかないかもしれません。

でも、想像もつかないほど離れた、隔絶された未来というのは、もうだんだん創られなくなっている気がします。理由は色々ある気がしますが、現に今ある科学がそれに追い上げてきているのかもしれません。
私達が持っているスマートフォンは、どこでも気軽にネットに繋いで情報をやり取りすることを可能にし、人間とコミュニケーションできる人工知能も当たり前に搭載しています。ソフトバンクは「感情を認識できる」と謳ったロボットを展示しています。Googleは自動で運転するクルマを作っていますし、その他のIT企業はウェアラブル・デバイスの普及に向けてまい進しています。
どれも20世紀に想像された未来かもしれません。でももう実現しています。こういったものを既に受け入れている私達は、次にどんな未来を想像できるんでしょうか。

この映画はいわゆる「シンギュラリティ」を描いており、一説にはそれが2045年に来ると予想されています。
私達はこれより先の未来を想像できるのでしょうか? 劇中でウィルが説明したように、「人間の知性の限界はここ130万年の間、変わっていない」のに、人間の知性を越えてコンピューターが発達するとされる世界を、本当に私達は予想できるのでしょうか?
この映画は、未来から刻々と迫る、人間の想像力の限界(リミット)に挑んでいる、意欲的な作品だと思います。

決断について

〈!ネタバレあり Spoiler Alert!〉
映画『トランセンデンス』

私はこの映画を観る前から、この映画は「決断について」の物語であるべきだと思っていました。というのも、公式サイトのエヴリン・キャスターのキャラ紹介に、こういう言葉があったからです。

夫の死の間際に、その意識をコンピュータにインストールし、生きながらえさせる。しかし驚異的な力を持ち始めた夫に違和感を覚え、やがて大きな決断をすることになる。

前項ではああやって書きましたが、機械が人間を越えて脅かすというテーマは、正直昔から繰り返し繰り返し描かれてます。1970年の映画『地球爆破作戦』は、アメリカで作られたミサイル防衛用のスーパーコンピューター「コロッサス」が自我を持ち、ソビエトにある同様のコンピューターと結託し、「地球の平和と人類の存続のために」、核ミサイルを脅しとして人類を支配すると宣言するストーリーです。1984年の映画『ターミネーター』は言わずもがな、スカイネットという人工知能が人類を滅ぼそうとします。1999年の映画『マトリックス』もお馴染みで、機械が人間の意識を仮想現実に閉じ込め、生身の肉体を電池にしています。
あるいは、人間の意識を機械にアップロードするというのも、既にサイバーパンク的です。
それでも、あえてこの映画がこうした「人間と機械の関係」をテーマとしたのは、「シンギュラリティが、いつか来る避けられない未来である」という考えを前提にしていたからかもしれません。
なら、この映画はその迫りくる未来に対して、人類としてどういう決断をするのか。機械を拒絶するか、受け入れるか、それとも……。その決断次第で、この映画はより新しいものになる可能性があります。なので、私はそこに注目していました。

個人的にこの映画のポイントは、純粋に”機械”ベースの人工知能ではなく、既存の人間の意識をアップロードしたものを「機械」側に持ってきたところだと思いました。観客が「機械」側をより(キャラ・人格として)理解しやすくするためなのか、人間と機械の違い(あるいは類似)についてより意識させることが目的なのか、どちらかは分かりません。
ともかく、このポイントによって、この映画は単純な「人間vs.機械」の対立構造では捉えきれなくなります。この映画は、人間と機械のどちらかに白黒を付けたり、勝ち負けを付けるような終わり方をしなかったわけです。
ナノマシンがあらゆる空間に蔓延した後遺症で、すべての電気機器はストップ。人類の暮らしは電化以前に戻るという、SF的にはありなエンディングです。人間にとっては、機械に支配される危険から解放されたものの、元の貧困や不便さに苦しまされます。一方でウィルは、最愛の妻エヴリンと共に過ごすことを果たすために、自らの消滅を受け入れます。
人間が機械を一方的に打ち壊すでもなく、機械が人間を支配するでもない。そういう意味でのありきたりさにはまらなかった点は、まあ良かったなと思います。ウィルは人類を滅ぼそうとする悪意の固まりではなくて、あくまで人類を貧困や身体的ハンディから救おうとする意識として描かれてます。そんなある種魅力的な未来の方を、結果的に人類は拒絶し、その代償としての大停電を喰らった一方で、一組の夫婦が愛を確かめあった。この映画のエンディングは、単純ではありません。

もちろん、人類全体の存続に関わる問題が、「機械は人を愛するか否か」的なパーソナルな規模に陥ってしまった感は否めません。一組の人間のために世界中が振り回されるパターン。どこかで見たような。確かに、発端が人間の夫なら、それを収めるのはその妻になるという因縁は分かりますが、分かるからこそありきたりと言えます。個人的には、エヴリンに注入するウィルスがエヴリン自身の身体になぜダメージがあるのかが分からなかったです。プログラムを書き換える過程で免疫反応とか拒絶反応が起きるから? もしかしたら私が見過ごしただけかもしれませんが、説明が飛ばされている気がするので、よりその結末に向けて前のめりになっているように思えました。

ともかく、この映画は、良くも悪くもはっきりと答えを出したわけではありません。今の私達の世界は、もはやテクノロジー無しには成り立ちません。しかし、このまま突き進めば、そう遠くないうちにシンギュラリティに突き当たる可能性も高くなる。この難しさです。テクノロジーの恩恵と脅威のバランスを、私達はますます真剣に考えないといけなくなります。簡単に答えは出ないでしょう。
一方で、物語的にとても綺麗にまとまっている映画だと思いました。話の風呂敷が綺麗に畳まれてます。静かな庭の一組の夫婦に始まり、人類を超越して消えた一組の夫婦に終わる映画。そういう意味で、作品としてシンギュラリティ問題に対しての主張をするより、物語的まとまりの方を優先したのだとも思えます。それはこの作品の良い点でもあり悪い点でもあると思います。

でも、総じて知的興奮を誘われるSFでした。意識がネットワークに生まれ、リアルと電脳とを区別せずに拡散していく様子。個々の人間の意識が繋がり、一つの集合的存在として行動するようになる様子。こういう映像だけでも個人的に凄く興奮させされます。
「人間の意識をネットワークにアップロードする」という問題は、何となくもうこの映画がやり尽くしてくれたのかもしれません。本当のシンギュラリティが来るまでに、これを越える作品が現れるかどうか。
もし現れるとしたら、その時にはもはやSFではなくて、ただの社会派ノンフィクションとして扱われてるかもしれませんが……

雑感

映像について

〈!ネタバレあり Spoiler Alert!〉
ゲーム『メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』

全体的に映像表現の美しさに心を奪われました。やっぱり映像監督上がりの監督が作るからこそなのか。
冒頭から強調される水滴のイメージ。それはいつしか雨雲となり、大地に降り注ぎます。その一粒一粒すべてにウィルが宿っています。神は遍在する、です。最後は、夫妻が愛でていたヒマワリから落ちる水滴で締められます。生命の根源である水を美しく描いているのが印象的でした。このあたりが、この映画をただのサスペンスではないところまで持ち上げている気がします。
あと、ナノマシンのCGも面白かったです。こんなにあからさまにナノマシン万能説を地で行く映像は初めて観ました(笑)。あらゆる分子をコピーし、際限なく増え続けてやがて地球を覆うまでに増えるナノマシンですが、その一つ一つがウィルの手足なのだと思うと、面白くもあり、怖くもなります。銃弾に撃たれたハイブリッドの傷が、地面から湧き出るナノマシンですぐに回復する映像も、「おおー」って感じでした。ゲーム『メタルギアソリッド4』に出てくる、ナノマシンの力で不死身となった男ヴァンプを連想してしまいます。

ブリーの影が薄くなってく?

物語後半にかけて、R.I.F.T.のリーダー、ブリーの役割が小さくなっていったように感じました。物語上、彼女はマックスを説得してR.I.F.T.側に引き込むという役割がありましたが、それ以降何か大きなことをやったか?というと……。最終的にジョセフやブキャナンもR.I.F.T.と行動を共にしますし、むしろ彼らの方がウィル殲滅に向けてノリノリな気もしましたが。ある意味でR.I.F.T.の理想が実現された、大停電後の世界で彼女がどうしているのかも、ちょっと気になりますね。

似た作品について

タイトルを忘れてしまったのですが、星新一のショートショート小説に、この映画の題材に近いような話があったのを思い出しました。あらすじはうろ覚えなんですが、だいたいこんな感じです。(詳しい情報求む)
ある大企業の社長(?)が、現代に本物の神を作ろうとします。研究者らは、世界中のあらゆる神に関する神話や伝承などの膨大な知識を、コンピューターに注入していきます。長い時間をかけて地道に学習を進め、神に近づいていくコンピューター。そして、ついに全ての知識が注入し終わった瞬間、突如としてコンピューターの姿が消え失せます。「どういうことだ」と狼狽える社長。研究者は、「神とは抽象的な概念なので、このコンピューターも神に近づいた結果、こうなったのでは」と推測します。それに対し、社長は激怒します。「いったいどれだけの大金をつぎ込んでこの研究をしたと思ってるんだ。神ができたらそれを利用して大儲けしてやろうと思ったのに。何が神だ。神なんて糞喰らえだ!」彼がそう叫んだ瞬間、彼らのいた機械室に雷のような放電が起きて、社長に直撃。彼は死んでしまいます。同時に、世界各地で地震や火山の噴火などの天変地異が発生する……。

実を言うと、私はこのお話を本で読んだわけではなく、昔NHKでやってた星新一番組の映像で見ただけなんです。自分にはそのお話を本で読んだ記憶が無いので、何とも言えませんが、このお話、ちょっと『トランセンデンス』に似てますよね。

オマージュ?

エヴリンがウィルをネットに接続した後、エヴリンがホテルのフロントで名乗る名前が「チューリング」でしたが、これもSF的オマージュだと見ていいでしょう。おそらくその名前は、ホテルの宿帳データを改ざんして予約を作ったウィルによるものですから、これも彼の意向かもしれません。劇中では二度、「あなたは自我を持っていると証明できるか」の問いのシーンがあります。
これはより曖昧ですが、後半のウィルの喋り方はHAL9000を意識しているように見えました。淡々としているけれど、感情的に豊かであるフリをしているような。どこにでもあるカメラから人間を窺う様子とかもそれっぽいですし。エヴリンの生理データをモニターしての、「ホルモンのバランスが乱れてる」とか「心拍数が上がってる」といったセリフも、ますますHAL9000らしく見えます。「ストレス・ピルを飲んで休んだ方が良いよ」

とりあえず、今回のところはここまで。
気が向いたら、続きではリアルの人工知能事情と人間の意識について書くかも……しれません。
お読みいただき、ありがとうございました。

[2014/7/19: 一部を微妙に訂正]

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