In Custody (2/2ページ)

―では、空港のことから詳しく話してもらおう。

 外国人の情報は、入国と同時にTaINSCに接続されたデータベースと即座に比較される。俺はまだ登録していないわけだから、飛行機を降りたら、別の部屋に通されて一通りの手続きを踏む必要があった。複数の身分証のチェック。そして、指紋や掌紋、顔面などの生体情報の登録。生体情報を書類上の情報と統合させて、データベース上に潔白な『アレクサンダー・ノーマン』が現れた。「この肉体の持ち主はこの人格に相違ない」ということに俺は同意することで、俺はイングランドへの入国を許されるわけだ。
 全部で二時間ほどかかって、ようやくターミナル3に出られたのが午前九時だ。周囲をよく確かめるために、本屋や売店に立ち寄った。ヒースロー・ターミナルズ1、2、3駅でピカデリー線に乗り、ホルボーンでセントラル線に乗り換えた。そこで一度オックスフォード・サーカスまで行って、そこで降りて電車を二本やり過ごすと、来た方向を戻る電車に乗って、バンク駅で降りた。そこからさらにウォータールー駅まで行った。コンコースの大きな人混みを足早に抜けると、歩道橋を渡って、バス乗り場に行った。五番乗り場でバスを待つ列に並び、急に乗り場を間違えていることに気付いた風で、信号の変わりそうな横断歩道を突っ切って、向かいの二番の乗り場のバスまで走った。あと五歩分残したところでバスが発車すると、その足でブラックキャブを捕まえ、ブリクストンまでと言った。パスリー・パークまで来たあたりで、ようやく尾行されてないと確信できた。ブリクストンに着くと、カリブ系の老婆が仕切る安ホテルに泊まった。
 ここまでの間に、至る所で生体認証を要求された。売店で、地下鉄で、コンコースの出入り口で、バス乗り場で、キャブで。それに数も思い出せないくらいたくさんの監視カメラを見つけた。ロンドンはTaINSCの加護に守られていたよ。おかげで俺も、数十年前は治安に不安のあったブリクストンの街を気楽に歩けた。

―ロンドン初日はそれだけか?

 もちろん。

―では……、それ以降、どのようにしてリチャード・ベニングス委員長に接近した?

 ベニングスの家がチェルシーの高級住宅街にあることは調べればすぐに分かった。サザークで車を一台レンタルすると、彼のアパートメントの入ったビルの近くまで行った。くすんだ赤煉瓦の、六階建ての建物だ。どの部屋か直接に確かめに行くことは危なすぎた。代わりに、ロイヤル・アルバート・ホールの近くで買っておいた、劇場用の双眼鏡で、通りから見える部屋の窓をそれぞれ観察しておいた。
 彼は平日と土曜日は、ホワイトホール方面に向かうが、出発時間はまちまちだった。午後になって出かけることもあった。車は、アパートメントの地下駐車場から出てくる、ブラックのアストンマーチン。運転は自分でしていた。行き先はビッグベンであることが多く、ついでロンドン警視庁、内務省、首相官邸だった。一日にその間を往復することもあった。もちろん何度か、ヴォクソールにも訪れていたな。

(沈黙)

 彼は一日のほとんどをビルの中で過ごしていて、お近づきにはなれそうもなかった。夜帰るときもどこかのレストランやらホテルやらに寄ることが多くて、正直に言って、行きも帰りもどんな経路を通るのか予測できなかった。彼自身は暗殺を避けるために意識的に経路をランダム化をしているわけではないだろうが、どこで彼に接近しようともTaINSCが俺の行く手を阻んだ。
 監視ができるのは一週間が限度と見ていて、それ以上続ければ、生体認証システムに、俺という外国人が唐突にチェルシーに通うようになった履歴が不自然に残ると思った。あそこには、ひっそりとしたアパート群以外に何もない。それにレンタルした車にも、移動した経路の記録が残るだろうから、後から参照されるとまずい。
 袋小路に突き当たった感があった。もちろん、そこにあるのはTaINSCという壁だ。あれがロンドン中の、ありとあらゆる道筋の途中に、目に見えない障壁を作っていた。まさにあのベニングス達が発案した忌々しいシステムが、俺という肉体が何時何分にどこを通ってどこにいたかということをしきりに確かめたがる。『アレクサンダー・ノーマン』は、俺という肉体に縛られていた。何もできずにただ時間だけが過ぎ、俺のことが露見するリスクが増えていくだけの状況に、苛立った。
 そういうわけで、多少アクロバティックな方法を考える必要があった。

―それはどの時点だ?

 もう今月に入ってのことだ。ニュースで『監視と犯罪・テロ抑止に関するロンドン会議』の開催についてのニュースを見るようになったからな。俺は、ベニングスはそこで表だった役割を果たすはずだと思った。会議の開催場所を調べると、ホワイトホールの近く、クライストチャーチ・ガーデンズに面した大会議場だった。
 車で彼の自宅と会議場の間を走ってみると、最短で二十分ほどの距離だった。会議の開始は午前十時半からで、彼の生活パターンから言えば、当日は自宅から直接この会議場に向かうだろうと思った。今度は車を降りて、徒歩でじっくり調べた。大会議場とビクトリア・ストリートを下った約四百メートルに、道路を向いた監視カメラが十二台。パレス・ストリートとの交差点に、指紋認証式横断歩道が一基あった。
 だが、通りの南側に沿って、スコットランド銀行に隣接した長さ百五十メートルの複合商業施設を見ると、交差点の上空を連絡通路が渡っているのに気付いた。中を調べると、心の中で快哉を叫んだ。ついにロンドンという要塞にネズミの穴を見つけたと思った。連絡通路の下部、二階と三階の間に、パイプと配線を点検するためのスペースがあったんだ。ドアは数十年前から使っているような錆びた鉄扉で、鍵は簡単に開いた。非常階段とそこを通ることで、一度も店内の監視カメラに映ることなく交差点を渡ることができると分かった。そして、交差点の向こうで非常階段を下りて出た先で、アーケードになっている歩道のほんの十メートル分だけ、監視カメラの死角になる空間があるのが分かった。
 もう頭の中では、全ての道筋ができあがっていた。実行の瞬間を決めるのに必要な、位置とタイミングはもう揃った。ホテルに戻ると、ボースに連絡して、ロンドンにいる彼の人員を二人寄こしてもらい――二人とも口数の少ない奴だった――そいつらと必要な準備をした。全てを終えた翌晩、ベニングスが例によってヴォクソールを出て、自宅に帰るところまで尾行した。
 レンタルカーを返すために発進したとき、遅れて俺についてくる車を見た気がした。ぴったり二十五メートル後方に紺のBMW。アルバートブリッジを渡ってもその距離のままついてきていたが、俺が適当な交差点でUターンをすると、その車は直進したきり追ってはこなかった。運転者の顔を見ようとしたが、見えなかった。

―用心のために、計画を中止しようと思わなかったか?

 それほどの確信がなかった。気のせいと言ってしまってもよいほど短い間だったから。それに、――告白しようか――ここまで来て第二の人生の資金を得られるチャンスから引き下がるのは惜しく思えたんだ。

―十一月五日当日のことを話してほしい。

 もう後はあんた達が既に知っているような話しかないぞ。

―最初に言ったろう、君には全てを話してもらうと。

 俺は地下鉄でビクトリア・ストリートに向かった。ボースの部下のうちの一人は標的を自宅から尾行する役で、九時四十九分に標的が自宅を出たと、携帯電話で報告があった。五分後には俺もビクトリア・ストリートに着いていた。
 凶器は、ボースの部下が仕入れてきた拳銃一丁で、左脇のホルスターに挿していた。都市へ武器を密輸送することもかなり厳しくなったこの時代に、ボース達は部品を一度に一個ずつ、一年かけてロンドンに運びこんだらしい。事前に試し撃ちもできなかったが、性能と自分の腕を信じようと思った。
 非常階段から複合商業施設に入ると、人に見られていないことを確かめて、例の点検スペースに入り、変装を始めた。標的がブレッセンデン・プレイスからビクトリア・ストリートに入るタイミングでもう一度連絡があるから、その時に俺は歩道に出る。
 俺が出るのは、標的から見て通りの左側で、ボースのもう一人の部下は反対側の歩道に待機しているはずだった。そいつはあらかじめ、開いた紙箱を歩道上に置いておくんんだが、その中に入っているのは盗難品のおもちゃのヘリコプターで、携帯電話を見ながら操作できるものだった。標的の車が俺のいるところに近づく直前、そいつはヘリコプターを離陸させて道路上を飛ばし、標的の車の目の前に飛び出させる。標的が衝突を恐れ――実際に衝突してもらっても構わないが――急ブレーキを踏んで止まったところを、対人用の変装をした俺が撃つ。それで終わり。俺は非常階段に戻り、変装を脱いで施設を出て、ただの『アレクサンダー・ノーマン』として地下鉄に乗る。そしてロンドンを脱出し、三千万ドルと共に新天地に旅立つ。
 尾行担当から携帯電話に連絡があり、俺は非常階段を下りて、歩道に出た。
 これで俺のストーリーは終わりだ。もう話すことはない。

―その瞬間まで、何も不審に思わなかったか。

 何も。全ては上手く行っていると思っていたよ。外的要因によって計画が乱されることがあっても、少なくとも俺達、違う、『俺』の想定した手続き自体に問題はなかったと思っていた。結果は違ったがな。

―疑いそのものを持っていなかったのか、それとも疑うことを意識的に避けていたのか。

 知らんな。もうどうだって良いだろう。客観的な事実だけ述べれば、俺はボースの部下二人を疑っていなかった。彼らが潜伏してきた一年の間に、あんた達に抱き込まれたという可能性も想定すべきだったが、それをしなかった。
 それに、ベニングスへの疑いも足りなかった。奴が前日にヴォクソールに行っていたことから俺は気付くべきだったんだ。あんた達がそのとき奴に警告を与えていたから、俺が銃を撃とうとする前に彼はもう運転席で頭を伏せていたんだ。
 ちなみに、どうやってボースの部下を抱き込んだんだ。やっぱり銃の密輸入からあいつらの尻尾を掴んだのか。

―TaINSCが彼らの密輸入を特定する決め手になった。

 結構なことだ。俺もまたそのシステムの有効性を証明することに、結局身をもって貢献したわけだ。時代は自由と引き替えに安全をもたらすシステムを求めていたんだ。

―このシステムがあって初めて、国民は快適に暮らす自由を得られる。

 引き替えに、一つの肉体が複数の名前を名乗っていい自由が奪われたな。ベニングスを始めとして、今や誰もが、この唯一つの肉体はただ一つの人格を持たなくてはならないと信じている。嫌な時代だな。どうして俺は『マーク・ジェンセン』であると同時に『アレクサンダー・ノーマン』であってはいけないんだ。

―私が答えられることではない。これは私が君に質問をする場であって、君の意見の表明は求められていない。

 ボースと、その背後の人々に辿り着く手がかりが欲しいんだろう。だが俺をこれ以上突いても無駄だ。俺達は互いの安全のために互いをよく知らないでおくんだ。あの使い捨ての二人も同じだ。

―君が何を知って何を知らないでいるかは、我々の見方で判断する。君が真実を出し惜しみする限り、この尋問は終わることはない。

 良いだろう。俺も最後まで付き合ってやるとしよう。だがその前にもう一度休ませてくれないか。もう今日は喋り疲れた。

(録音ここまで)

[尋問者註:
*1 …Tracking and Identifying Network System against Criminalsを指す。  
*2 …『ザマン』二〇三七年八月八日付朝刊 第三面の記事の写真。リチャード・ベニングス対テロ監視委員長を指す。
*3 …二〇三七年十一月現在、インターポールにより指名手配中。]

〔この尋問記録は、捕虜番号30467211F全五回にわたる尋問の四番目の内容を文章化したものである。その他の記録の参照は、捕虜管理課・資料室まで連絡のこと。ただし閲覧にはレベル3クリアランスを要す〕

録音担当者   ジェニファー・マクレイグ
尋問担当者   ロバート・フィニング
保守点検担当者   アンドリュー・ハモンド
看守   ロナルド・フィリップス

捕虜管理課長 確認 済

– Secret Intelligence Service –

あとがき
地の文の無い小説を書いてみたかったのですが、オチが物足りないことを自覚しています。謎めいた文体の理由が最後まで読むと分かる、ということがやりたかったわけですが、物語の起伏が犠牲になりました……。
役所の書類のような形式は、たぶんこれを書いた頃(2013年5月頃)にジョン・ル・カレに影響を受けてていたのが理由です。対話による尋問形式の文章は、『寒い国から帰ってきたスパイ』が近いです。
要するに、官僚的な無機質さによって粛々と処理される、一個人の人生を描きたかったんですが、一方で、「未来の世界で殺し屋はどうなっているんだろう?」、という興味もこの作品に含まれています。特に後者のテーマであともう一作長編を書いてみたいと思っております。はい。頑張ります。

 

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