From Beyond (3/3ページ)

 ハンスの両眼の瞳孔は、エンリケの顔から、外に広がる暗闇の方へ向いた。
「質問を質問で返すようで悪いけど、君達人間は心なるものをどう思っているんだい?」
 エンリケは何も言わなかった。
「それも君が指している意味、いや意図の問題だけどね。それでも、君はこの車に乗り込んだ時、僕を心がある人間だと思い込んでいた。そういうことだよ。僕らは人間らしい振る舞いができる。確かにそこには、意識も無意識も存在しない。なぜなら、僕らが君らの目に見える言動を学習してきたからで、それぞれの行動の背後にどんな心理的プロセスがあったとしても、僕らはそれを切り捨てている。それでも、何も問題は無かったじゃないか。世界にいる約十万体の僕らは、ほぼ完璧に社会に適応できている。人間は、自分に近い存在に心や精神なるものを帰属させたくなるんだろう。それなら僕らも『心ある存在』と呼ばれて良いんじゃないかな」
 エンリケはまた小さく首を振った。そして、
「新しい人間《オンブレ・ヌエボ》」と、囁くような声で呟いた。
 ハンスは両側の口角を持ち上げ、上下の歯を露出させた。「不気味の谷の向こうからやってきた存在と思ってくれないか」
「どういう意味だ?」
「いや、分からないなら良い」
 ツーソンまで残り三十マイルを示す標識を通り過ぎた。辺りは暗闇に包まれ、道路のアスファルトがヘッドライトによって白く浮かび上がっていた。もう一度、タイヤが小石を巻き上げる音が聞こえた。エンリケはおもむろに口を開いた。
「さっきから思ってたんだが」
「何だい?」ハンスは反対車線の道路へ両眼の瞳孔を向けていた。
「マトンには必ず人間の持ち主がいるんだよな」
「そうだね」
「マトンは持ち主の責任のがあって動くって聞いた。買い物は必ず持ち主の名義で支払う。賃金が出る労働には就けさせられねぇ。マトンがした事故や犯罪は持ち主の責任になる。一人で行動するときには必ず持ち主の意図を説明しないといけねぇ……」
「何が言いたいんだい」ハンスは顔面の向きを固定したまま発声した。
 エンリケは、また言葉を探して口を開け閉めした。
「あんたの持ち主は誰だ? あんたは何をしてるんだ?」
 ハンスはすぐには反応を返さなかった。「聞きたいかい」
 反対車線に何かが動く気配があって、エンリケもそちらを見た。四百メートルほど離れた所に、ヘッドライトを点けたトラックが走っていた。
「じゃあ、教えてあげるよ。君は彼らに知らされていないみたいだし」
「え?」エンリケは、ハンスの発声内容にぎょっとしたような表情をした。
「その前にもう一つだけ。僕らオートマトンは金持ちや老人や企業のためだけに使われてきたんじゃない。同じ技術がある場所でも使われている。どこだと思う?」
「さあ……」エンリケはにわかにそわそわとし始めた。
「戦場だよ」
 エンリケははっとしてハンスの顔を見た。
「意識を必要としないし命も持っていない代理人は、戦場では重宝されている。僕らの仲間は、特別な情報を与えられ、そこでいくつもの人殺しを重ねてきた。オートマトンである以上、その行動データのフィードバックも発信するけれど、そのデータだけは合衆国が管理している。でも、民間でそのデータに侵入できない人がいないわけじゃない」
 ハンスは四十デシベルほどに音量を落として発声した。エンリケの顔から血の気が失せていった。
「僕の持ち主は、ある非常に特殊な目的のために僕を買ってね、およそ合法とはいえない操作を施したんだ。その結果、僕は、他の仲間よりも自由になった。フィードバックを送る義務から解放されたんだ。僕がどこで何をし、誰と接触したかを知らせる必要が無くなった。同時に、持ち主は僕に政府秘蔵のデータを注入した。もうどういうことか分かるよね」
 反対車線のトラックは、こちら側に接近するごとに速さを増しているようだった。ハンスはダッシュボードの右のパネルを右手で二度タップし、運転を手動モードにし、ハンドルの左右を両手の指で持った。トラックは、ワゴンとの距離が七十メートルまで来たところで、突然こちら側の車線へ転回し、ヘッドライトをハイビームにした。ワゴンの運転席が白い光で飽和し、エンリケは短く声を上げて目を覆った。ハンスは既に顔を適切な方向に逸らしていて、右足でアクセルペダルに圧力をかけ、右手でハンドルを垂直方向に上げ、左手で下げた。

 ワゴンは道路を下りて、砂地を走行した。トラックもすぐに追いかけてきた。トラックはルーフ部分にライトを付けていて、今はその全てが点灯してワゴンを照らしていた。
 エンリケは息を弾ませて、手で肘かけや座席をしっかり掴みながら、後方を振り返り、また前を見た。「何であの車がここにいんだよ」
「それも知らされてないのかい。僕を捕まえるためだよ。僕は貴重な存在だから」ハンスはハンドルを小刻みに回転させながら発声した。「君は偵察係だね」
「知らなかったんだ!」エンリケは叫んだ。「あいつらが、仕事をするならアメリカに連れてってやるって言って、ヒッチハイカーのフリをしてあんたの車に乗れって……」
「彼らは君の対内にナノマシンを注入し、それを通して僕を監視した。僕もさっき君と握手した時に、手のひらを通して僕のナノマシンを忍び込ませた。それでかく乱しようとしてみたけど、向こうが一枚上手だったようだね」
 エンリケはもう聞いていなかった。さらに息を喘がせて、後ろを振り返った。
 トラックのサンルーフが開き、男が一人姿を現した。手にライフルを持っていた。エンリケが身をかがめた時にくぐもった銃声が聞こえてきた。ワゴンはひどく振動していた。
 ハンスは左右にハンドルを大きく動かし、ワゴンの走行は蛇行し始めた。銃声が何発も続いた。どんという一際大きな音が車体の右から響いてきて、エンリケは悲鳴を上げた。ハンスは右足でアクセルを踏み、手で左にハンドルを三度回転させた。反時計回りにワゴンが走った。その状態が十秒以上続いた。エンリケが顔を上げると、トラックも同じく回転運動をしようとしていた。サンルーフの男は引っ込んでいた、一時的に。
 ふいにハンスはハンドル右側のレバーを下げた。ワゴンが急激にスピードを落とし、エンリケは前につんのめった。直後に、車は後ろへ加速して進んだ。トラックは左方向へ避けようとしたが、先にワゴンの車体の右の角が、トラックの前面左側に衝突した。ずしんという音と、ガラスが砕ける音。二つの車は止まった。エンリケは耳をふさぎながら、首だけ回して運転席を見た。ハンスはまた別のレバーを持ち上げて、車にブレーキをかけ、ボタンを押してシートベルトを外した。
 スペイン語の野太い怒鳴り声。金属バットを持った男がさっとトラックから飛び出し、あっという間にワゴンの運転席に近づいた。ハンスは身体を助手席側に倒しながら、左脚を屈曲させた。男が運転席のドアの前で、バットを振りかぶろうとした。ハンスは、六十キログラムの力で瞬間的に左脚をドアに突き出した。ドアが跳ねるように開き、男にぶつかって、彼を倒した。ハンスは飛び起きて車を降り、金属バットの男の肩と頭を右足で突いた。振り返り、すぐに身をかがめて、バットを右手で拾い、握った。
 エンリケは助手席側のウィンドウからトラックを見ようとした。もう一人の男がライフルを持って現れ、エンリケはまた身を屈めた。ハンスは姿勢を低くしながら、ワゴンとトラックの衝突部分へ回った。ライフルの男も、ワゴンのウィンドウの辺りに銃口を向けながら移動した。トラックの壊れていない方のヘッドライトは点けっぱなしで、鋭い光をライフルの男に当てていた。男は顔をしかめてトラックの助手席側に戻り、そこで銃を構えた。
 沈黙。ふいに男がトラックの方へ振り向いた。ウィンドウには黒いフィルムが貼ってあった。銃身が車体の後方へ向き、また前方へ向いた。その時、何かが砂の上に落ちる小さな音が、トラックの後方から聞こえてきた。男はそちらに銃を向けた。摺り足でそちらに近づく。小さな砂煙がそこに漂っている。男は一気に踏み出そうとして、そこに落ちているのが金属バットだということを知った時、ハンスが男の背後に素早く立って、男の顎を右手で掴み、後頭部を左手で掴んで、右方向に急激に動かした。男が崩れ落ち、彼の持っていたライフルも地面に落ちた。
 エンリケはナップザックを引っ掴むと、運転席へ身をよじって、開きっぱなしのドアから這うように出た。そして、右手でナップザックをしっかりと持ち、一目散に暗闇へ走り出した。息は上がっていた。行く手には何も見えなかった。足元の地面がどんどん暗くなっていく。視界に映るものは黒一色になり、地面の砂を踏む感触がどんどん曖昧なものになっていった。振り返ろうとはしなかった。喉が水を求めて喘いでいた。最後に水を飲んだのはいつだった? 前方のどこかから、川の音が聞こえた気がした。その時、頭の後ろに大きな衝撃を感じた。

 ハンスは両手で死体の脚を掴み、引き摺ってトラックの元へ移動した。エンリケの後頭部には紅色の穴が一つ開いていた。トラックの座席には既に二人の男が乗せられていた。エンリケの両脚を放すと、そのうつ伏せになった身体の両脇の下に両手を差し入れ、エンリケの上半身を持ち上げた。一度車体に身体をもたれかけさせ、再び両脇を下から持ち上げて、座席に詰め込んだ。ハンスの両眼の向きは、エンリケの身体の上を移動し、右足で止まった。そこは灰色の靴下だけになっていた。
 ハンスは後ろを向き、砂の上に残っているエンリケを引き摺った跡に沿って、顔が動かした。車から約三十メートル離れた場所に何かが落ちていた。そこまで動いていくと、それは靴底が完全に外れて壊れたスニーカーだった。それを拾い上げると、車まで戻り、運転席にそれを放り投げて、ドアを押して閉めた。
 ズボンの右のポケットから、先ほど死体の一つから持ち出したライターを取り出した。
「まだガソリン車に乗っていてくれてありがとう」ハンスは右の口角を〇・五センチ上げながら発声した。そして、親指でライターを着火させて、それを地面に置いてある破れたシャツの上に投げた。そのシャツも死体の一つから剥いだもので、トラックの車体下部に開いた穴から漏れ出たガソリンでじっとりと湿っていた。
 ハンスはワゴン車に乗り、ドアを閉めると、車のブレーキを解除し、アクセルペダルを踏んでハンドルを右に回転させた。六百メートルほど先に道路が見えた。そして、しばらくして爆発音が響いてきて、車体後方のモニター映像が一瞬オレンジ色に染まった。
 道路に戻ると、ハンスはその場にはいない人間に向かって発声を始めた。
「もしもし、ボス。ええ。見ていましたか。はい。どこで情報が漏れたんでしょうね」運転を全自動モードにすると、ハンスは右手を顔に当て、右肘を肘かけに突いた。
「ヒッチハイクの男の体内にナノマシンを走らせました。脳から記憶を読み取ろうとしましたが、ほとんど有益な情報はありませんでしたね。それを期待して車に乗せてみたんですが、徒労でした。ただの貧しいメキシコ人でした。すみません、カリフォルニアに着くのは三時間は遅れそうです。ええ、これから空港に向かうので。はい。怪我はありません。荷物も無事です。車は処分をお願いします。この辺を巡回している無人機の情報はありますか? 僕のことを見られたかどうか分かりません。……そうですか、了解しました。では、また後ほど」
 両眼がサイドミラーに向くと、そこにはトラックの上に立つ火の柱が映っていた。それは周囲の地面を赤々と照らし、暗闇の中で輝いていたが、ワゴンが丘を登り、下り坂に入るともう映らなくなった。

あとがき
文体やイメージなど、明らかにコーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』の影響受けてます。その作品は、人物の内面の心情描写がとても少ないことが特徴なんですが、この作品ではそれを突き詰めて、途中から完全な三人称的記述を始めてます。くどかったらすみません。
途中の「鎮魂の碑」のエピソードは、注目されてほしいと思ってます。私が新聞で読んだ実話を基にしていて、読んだ時に受けたショックが読者の方にも伝わったらと思います。ただし、実際の碑の大きさは十メートルもありません。
参考文献
・『国境 密航者たち』中日新聞 2013年3月1日朝刊から3月5日朝刊まで
 ほか多数

 

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