祭りの夜に (2/2ページ)

 宇宙開発局が第一都市公園に設営した会場では、さっきも見た通り、未来を夢見る人々が熱に浮かされたようにお祭り騒ぎを演じている。ここから偉大な未来が見えると信じて。夜空に輝くあの地にいつか自分も行けると思いながら。
 起伏の少ない芝生の地面の上には、いくつもの大きなテントが立てられて、飽きるということを忘れたいかのように、映像も音楽も飲食もパフォーマンスも、あらゆるサービスがそこから供給されている。
 でも、この中に私も入りたいとはとても思えなかった。この夜には喜ばしいことしか無いと思い込んでいるあの連中の中にいるのはまっぴら。
 父はどうなのだろう。祭りの好きな父は、やっぱりあの人々のうねりの中に身を投じてもいいと思っているんだろうか。
 そう思って横を見ると、そこには意外にも、この人混みをあくまで冷静に見る瞳があった。
「あの中にいてもやることはないからな」父は〈Linking〉で時計を見ていた。
 私も自分のものを起動してみると、残り時間まであと十五分弱といったところだった。
「どこか静かに見られるところに行こうか」
 その提案に私は頷いた。父がこんなことを言うとは思ってなくて、少し意外だった。
 公園の端をぐるっと廻るようにして歩いた。静かなところといっても、結局は会場中央の仮想モニターがよく見える位置でなければいけないから、あまり遠くには行けそうになかった。公園の北の木立の辺りまで来たけど、きのこのように膨らんだテントに遮られてモニターが見えなかったから、会場の一番端にあるテントまで下りて近づいていった。
 私達は何をするでもなく、そのテントの壁に並んでもたれかかる。柔な素材ではなかったけれど、父の大きな背中がもたれかかると沈み込むようにたわんだ。
 ここには光と音が周囲に溢れている。遠くから響いてくるのは、ライブ演奏の重低音。空を見上げれば、月を飾るようにして伸びるサーチライトの柱。テントの中からは無数のくぐもった談笑が聞こえてくるし、私達のいる場所はオレンジ色の灯りで照らされている。
 私は、ふと父の方を見た。父は、例の胸ポケットからあの紙を取り出していた。今まで父が幾度となく気にしてきた淡い黄金色の券だった。そこには、仰々しい飾り文字の下に、至ってシンプルに七桁の数字が記されている。個人ID番号とデータバンク照合技術に全幅の信頼が置かれているこのご時世で、いまだに紙の券一枚を持つことだけで権利の証明にできてしまう慣習が生き続けていることにちょっと驚きを覚えたことがある。けれど、でもこの紙片が、この数字が、父のこれからの人生を変えてしまうかもしれない。
「小さい頃、親父に連れられて、宝くじの発表を見に行ったときを思い出したよ」ふいに父は呟いた。
「そのときもこんな感じだったの?」私は訊いてみた。父の昔の話を聞ける機会は本当に少なかった。
「いや、もちろんこんなに人は多くなかった。町内の公園でやるような小さなお祭りだったよ。海外旅行が当たるとかいう賞だった」
「外れた?」
 父は頷いた。「まあ、そうそう当たるもんじゃない」でも、その顔は何かを懐かしむように微笑んでいた。
「でも、何が楽しかったって、親父に頼まれて、紙に書いてある当選番号を一生懸命探したことだな」
 私は父の言っている意味がちょっと分からなかった。「なんで?」
「上手く言えんが、とにかくわくわくしたんだよ。発表の瞬間、大きな看板に、全部の当選番号が一斉に張り出されるんだ。それを見たとき、あの中に俺達の番号があるかもしれないって思うと、子供心に興奮した。それで順番に一個一個番号を見比べながら探していった。あれは違う、これも違う、でも次にはあるかもしれない。最後は意地になって、全部の番号を見ていた」
 父は一瞬の間、どこか遠い所を見つめていた。
「周りの大人も熱が冷めて帰り始めた頃になっても、俺は諦めきれていなかった。迎えに来た親父に、外れだったって言うことが悔しかったな。だけど、親父は家への帰りに俺を肩車してくれたんだ。今でも覚えてる」
 私は父の瞳の中にその情景を見た気がした。
 たぶん、今の時代だったら、自分の当選番号を探すことだって、〈Linking〉の番号検索機能を使えばすぐに済むことだろう。そもそも今の時代に町内という小さなコミュニティ単位で祭りをやることなんて滅多になくなっただろう。
 でも、父は今でも、その思い出を大切にしている。語り終えた父の目には、今この会場に散乱しているような光とは全く違った種類の輝きがあった。
「モノは違うけど、そのときも、こうやって紙を持って待ってたな」そう言って、父は例の抽選番号の書かれた券に目を落とす。
 私も黙ってその紙を見つめた。
 月のように淡い黄金色が、オレンジの照明の下できらりと光沢を放つ。
 数分後に父は番号を探すだろう。
 紙に書かれた数字に自分という存在を仮託して、たくさんの数字の中に同じ番号があることを信じて探し続けるだろう。
 父が小さかった頃と同じように。
 でも、本当に同じなのだろうか。
 もし当たったとしても、数年後にはただの思い出話に変わるくらいで済むものだろうか。
 私にはそう思えない。
 午前零時きっかりに世界中で発表される番号の中に、もし父の番号が入っていたら、父は遠い所へ行ってしまう。
 二度と会えないというわけではないけれど、それでももし当選したなら、父は途方も無い距離の向こうへ行ってしまう。
 私の知らない世界へ旅立つ切符を手に入れてしまう。
 無機質な確率の気まぐれ次第で、一人の人間の生きる場所が変わってしまう。
 父にとっては、くじが外れても彼を肩車してくれる父親がいた。けれど、私にとっては、時々話をしてくれる父親がいなくなるかもしれない。
 今夜の発表はそういう意味があるのに。父がそれを分かっていないはずがない。
 なのに、父は夜空を見上げながら、
「もし当選したら……、どうしようか」などと言っている。
 まるで意味の無い問いかけだ。
 やることなんて決まってるんだから。
「行っちゃうんでしょ」いつの間にか私の言い方はぶっきらぼうになっている。
 父は私の声音に気付いてこちらを向くと、俯くようにして頷いた。
「まあ……、そうだな」言葉は尻すぼみになっていって、遠くで上がった歓声の間に消えた。
 これも、父が決めたことだ。
 父の会社のために、ひいてはこの国の経済戦略のために、月面の開発競争で重要な位置を確保できるようイニシアチブを取るなんて役割を背負わされて。誰もが憧れるくせにその実誰も行きたがらないところへの切符をかけた一般抽選に参加させられて。
 それでも、父は最後には自分でそれを受け入れた。
 自分がやれることならやりたい、って言って。
 でも、どうしてそんなことを選んだの?
「お前や母さんも連れて行けたらいいんんだがな」
「無理だって分かってたくせに」喉の奥が重くなるような感覚を覚えた。
「自分勝手だよ。全部、一人で決めちゃって。私に何も教えてくれないで」
 私は、覚えている。家に帰ると両親が気まずげな面持ちでいたあの日を。
 私が全てを知ったときには、もう何もかもが既に決まってしまっていて、私にはどうすることもできなかったことを。
 私は父の顔を正面から見つめた。
 父も私の顔をじっと見ていた。
「月なんかに行って何になるの? 私達を置いていって何がしたい?」
 私は父を信じていた。
 古くさくたっていい。
 機械に慣れてなくたっていい。
 不器用であってもいい。
 でも、私は父を誇りに思っていた。
 それなのに、それなのに……。
「お父さんは、私のことなんてどうでもよかったの……」
 その次の言葉を探したけれど、急に何を言ったら良いか分からなくなった。それに今の言葉が本当に私の気持ちから正しく出た言葉なのかも自信が持てなくなった。
 私は俯くことしかできなかった。
 父は、何も言わなかった。
 今は世界中の人間に黙っておいてもらいたかったのに、会場のそこかしこから一際大きな歓声が上がる。アナウンスが聞こえてきて、残り時間が一分であると告げた。
 こんな時なのに。
 いや、でも、これも私が決めたことのはずだ。もし、今夜その瞬間が訪れるのなら、これ以上私の知らないところで知らない間にそれが終わってほしくなかったから、せめて父に一番近いところでそれを見届けたかった。
 なのに、どうして私はこんな苛立ちをぶつけてしまうのだろう。
 父の顔を見るのが怖くて、私はいやいや仮想モニターの方に目を向けた。
 容赦なくカウントダウンは進んでいて、残り五十秒を切るところが見える。
 もう、何もかも始まっていた。その前で、私はただ一人で駄々をこねているだけだった。
 私は、無力だ。
「ごめんよ」
 どこかの気が早い連中が大声で秒読みを始めていたけれど、今の父の低い声ははっきりと聞き取れた。私は父の顔を見た。
 残り四十秒。
 今まで見たことのない眼差しがそこにはあった。でも、あの時に似ている。私が小学生の頃、楽しみにしていた家族旅行の予定が父の仕事で駄目になったときに、それを私に謝るときの瞳。
「お前には……、何にもしてやれなかった。もう、こんなんじゃ父親失格かもしれない。でも、こんな俺に、お前がそう言ってくれて、嫌な思いをしても、こんな俺に付いてきてくれて、嬉しいよ」
 私は、目を見開いていた。
 父はもう一度言った。
「ごめん」
 その言葉はしっかりと私の中で停滞した。
 いつでも聞きたいと思っていた、優しい声だった。
 父は不器用な微笑みを浮かべる。
 全部、父は分かっていたんだ。堪らなくて、私はまた俯いた。目尻をぬぐうと、指先に温かいものが触れた。
「まだ決まったわけじゃないけど……、な」少しだけ苦笑しながら父は言った。
 そして、秒読みの声が会場中から聞こえる。
 十……、九……、八……、
 ようやく涙をぬぐい終えた私は、改めて仮想モニターの方を見た。大げさな電子音を立てながら、赤色の数字が減っていく。
 七……、六……、五……、
 私は、思っていたよりも落ち着いて、その瞬間を迎えられそうだった。
 四……、三……、
 父が私のすぐ隣に立っていてくれた。
 二……、一……、

 夜空が割れんばかりの叫び声が一斉に上がった。どこかで花火が上がって、月の輝きを覆い隠すほどに夜空をいくつもの色に染め上げる。地響きが起こっているようだった。モニターの映像がぱっと切り替わり、大量の数字の羅列が現れる。
 父は抽選番号の書かれた紙を宙に掲げて、輝く仮想モニターに重ね合わせた。本当に画像を〈Linking〉にダウンロードして番号検索機能を使うこともせずに、一つ一つその目で数字を確かめている。その顔の上は、何かいくつもの感情がさざ波のような細かさで移り変わっていくようだった。期待。落胆。驚き。諦め。寂しさ。私はその一つ一つを驚くほどはっきりと見つめていられた。
 そして、
「あった」その言葉はあまりにもあっけなく父の口から漏れ出た。
 それは、私の目にも確かめられることで、もうこれ以上他に言いようが無いほどに明らかだった。父の券にある番号は、スクリーンの画面上にも何食わぬ顔で存在していた。
 たった今、父は月に行く権利を獲得した。
 言葉は出なかった。たとえこの瞬間を目にしても取り乱さないようにしようと心の中でひそかに覚悟していたけれど、むしろ今の自分は驚くほど冷静にこのことを理解できていた。このことの意味することは変わらないのに。
 会場中から、歓喜の叫びと怒号とが渾然一体になったようなどよめきが聞こえてくる。花火が散発的に上がっては、夜空を一瞬だけ明るく染め上げて消えていく。メインのスクリーンでは、月への抽選券を買っていた著名人の当否が早くも中継で知らされ始める。
「あってしまった、なぁ……」父は寂しげに口の端を持ち上げる。驚きとともに、どこか私と同じように以前から覚悟していたかのような孤独な冷静さが感じられた。
 しばらく二人とも黙っていたけれど、父は言いたいことを探すように視線をさまよわせた後、再び私の顔を見た。
「こういう、ことだ。そう。まさか本当に当たるとは思ってなかったが……」一度言葉を切ってから、「俺は、このあと手続きが近くであるから行くけど……、朝までかかるだろうし、お前は先に帰ってもいいぞ?」私の目をうかがった。
 私が付いて行ったところでどうにもならないのは分かっている。もう全てお膳立ては済んで、あとは決められた道を父は進むだけなのだから。
「うん……。分かった」
 私がためらってから出した言葉に、父は頷いた。
「何時に終わるか分からんが、俺は帰りはタクシーでも捕まえるよ。お前は車で帰りなさい」そして、テントの中からぞろぞろと溢れ出てきた人混みを一瞥して、「気を付けてな」と言った。
「大丈夫」私は言う。
 父は微笑しながら頷いた。そして、私に背を向けて歩き出す。茶色のコートの大きな背中は、光学粒子が蛍のように飛び交うこの場所の中で、ひどく孤独だった。
 姿が見えなくなるまで見送るつもりだったけれど、両側から甲高い声で喋る集団が歩いて来て、すぐに父の姿は覆い隠された。
 私はその後もしばらくそこにいたけれど、もうここに用は無いと思って歩き出す。どこを見ても人がいて、光があって、空気には音が満ちていた。凄い人混みだったはずだけれど、気付くと私は既に会場の外へ出ていた。どういう道順でここまで来たかは覚えていなかった。
 地下駐車場に戻り、車のドアを開ける。この車の所有者は父だけど、ドライブ・オーサライぜーションが私の〈Linking〉に付与されているから、私はロックを開けて、車を動かすことができる。
 地上の照明の余分な光が、夜空に飛んでいる花火の煙を浮かび上がらせている。街並みは一時間前に比べると、人の活気も演出も力を失い始めていて、早くも酒の重い酔いに頭を抱えているみたいだ。この卵は私を家まで連れて帰ってくれる。でも、この自動操縦車のシートは、私一人で座るには少し広すぎた。

あとがき
人生で2番目に完結させた作品です。当時のサークルのお題小説企画のために書こうとした作品です。お題は、「発表」と「つき」(付き、月など、解釈自由)でした。
当時やたらと文章のリズムにこだわっていたなぁということに気付きました。(同じ構造の文を連続させる、体言止めを連続させる、名詞を列挙する、対比関係の文を並べる、など。今でもやるかも。)

 

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