祭りの夜に (1/2ページ)

 幾筋ものサーチライトの光が夜空を王冠のような形で飾り立てている。お祭りの夜にサーチライトを出すなんて、どこか前世紀的にも思えたけれど、人類の偉大な一歩というものを噛みしめた人々は、それを祝うために華やかなものは何だって使いたいらしい。
 私達の自動操縦車は、長い橋の真ん中で渋滞に足止めを食らっていた。家を出る前は、いくら世紀のイベントの宵といってもそこまで人出は多くないと思っていたけれど、蓋を開けてみればこの混雑ぶりだ。本当に今世界を独占する話題が一つしかないのだと実感して、私は驚きもしたし、呆れもする。
 今することといえは、ウィンドウに肘を突いて外を見ることくらいだ。橋の下には河の黒々とした水面が見えて、そこには橋の向こうの中心街が放つ、光害ともいえるレベルの輝きが反射している。そして、さっきから全く変化の無いこの景色にもいい加減飽きてきたところだった。
 一方で、隣に座っている父はといえば、橋の向こうまで延々と続く車の列をさっきからじっと見つめている。丸い瞳はまっすぐ前を向いていて、周りにうっすらと髭の生えた口はぴっと閉じていた。物思いに耽っているときの顔だと私には分かった。そして、きっと何を考えているだろうか私には想像がつく。でも私自身はそのことについて考えたくない。父にとってそれは今夜一番重要なことだけれど、私にとってそれは今夜一番辟易することだから。
 私は思考をやめて、時刻を見ようと〈Linking〉の画面を呼び出す。左手首に通した白いバングルの表面の、直径一ミリ以下の穴から四角い仮想画面が空気中に立ち現れて、暗い車内を病人の顔みたいに青白く照らす。今は二十三時四分。つまりあと五十六分だった。道路が混むから、と父が言うから早めに家を出たけれど、既にこの道の混みようではあまり変わらなかったかもしれない。
「渋滞、あとどれくらい続いてる?」父は前を向いたまま、私に訊いた。
 本当は大して訊く意味の無いことだ。わざわざ私に訊かなくたって、車の運転制御パネルで調べるか、自分の〈Linking〉で呼び出すかをすればすぐに分かるのに。それでも父は、まるで何か目を離せないものがあるかのように前だけを向いていた。
 といっても答えない理由も無い私はで都市の交通情報マップサービスにアクセスし、リアルタイムの渋滞情報を検索する。赤や黄や青の芋虫のような、長さの異なる線が、道路の形に沿って街中に巣くっていた。自動操縦車一台一台の位置情報をもとに、このマップは都市の道路の状況を一分刻みで更新していく。私は画面の範囲を指で動かして、私達のいる道路橋を捜した。
「あと十分で橋が空くって」私は画面上のポップアップの予測結果を知らせた。そして、用が済むとマップを指先で弾いて、画面を元に戻す。こんなことをしても退屈は紛れるはずもなかった。
 父は「そうか」とだけ言った。そして深々と息を吐いた。あとにはまた、収まりの悪い沈黙が残った。
 さっきからぴくりとも動かなかった自動操縦車がようやくのろのろと動き始めた頃に、私は気まぐれに〈Linking〉で「ニュースバンク」にアクセスしていた。ここを世界中から最新の情報が秒単位で入ってくる場所だと言ったのは誰だったか。でも、今夜はどのメディアが出す見出しも、いつにもましてお定まりの文字ばかりだ。『最後の土地 最初の開拓』『偉大な「もう一歩」』『入植準備続々と整う』『共同利用新協定 参加国拡大へ』。こんな白々しい賑やかしにも心から喜びながら、きっと今夜は誰もが浮き足立って、誰もが今までになく近い眼差しで、夜空に輝く真円を見上げるだろう。多くの人は深い意味まで考えることなんてなくて、ただ酔いしれるためだけに酔いを求めるだろう。
 そして、今夜いくらかの人は、来るべきその一瞬を待ち続け、その次に自分が吐くため息が安堵から来るものになるのか惨めさから来るものになるのかを見極めようとするだろう。
 私の隣に座る父もその一人になる。その事実を受け入れるのに、私は今までどれだけ苦労してきただろう。

 倒れた卵のような形の自動操縦車が徐々にスピードを増して、ようやく橋を抜け出した。システムの出した精密な予測結果と十秒も違わない。父が見つめていた橋の先には、今夜ばかりは眠らないと決め込んだ街が待っていた。ビルというビルの全ての明かりが灯っている。歩道上の至る所に人が溢れている。通りに面した店は全て開け放たれて、食べるものも飲むものも何でも提供しようとしている。道ばたには紙くずもごみも、〈Linking〉の支払い認証機能が広まってから姿を消し始めた紙幣でさえも落ちてたけれど、誰も拾おうとはしない。みんな下を見るよりかは、上を見ていたいからだ。
 道路に人が溢れ出そうになる度、自動操縦車の前方センサーとカメラが反応して、事故を防ぐために急停止するから、三ブロック進むのに十分以上はかかった。四つ目の交差点で左折すると、そこの演出はさっきよりも輪をかけて派手だった。街路樹には不思議な色の光学レイヤーが巻き付いていて、別の生き物が取りついたようだった。空中には、誰かが撒いた七色の発光粒子が蛍の大群のように浮かんでいる。左側のビルは、ガラスの壁面に仮想モニターが取り付けられて巨大なスクリーンになっていた。そこに映るCMでは、褐色の男性が勢いをつけて跳躍すると、スローモーションで身長の何倍もの高さに浮き上がった。たぶん六分の一の重力ということを表したいんだろう。道路には、蒼色に透き通る翅を持つ蝶が何匹か飛んでいて、そのうちの一匹が私達の車のフロントガラスにとまった。本物ではなく、仮想現実で映し出された蝶。
「綺麗だな」見ながら父が呟いた。
 私は父の方をちらりと見る。街中の照明のせいだろうか、目がきらきらと輝いているように見えた。父はお祭りごとが好きだ。やっぱりあの特有の、高揚を煽るような空気が気になるらしい。たまの休みで家にいても、何かイベントがあると、ふらっと家を抜け出してしまうことがしばしばあった。
 だから、きっと今夜の祭りも同様に捉えているんだろう。前代未聞の世界規模のイベント。人類の大いなる発展を祝う夜。
 私自身も別にお祭りは嫌いなわけじゃない。でも、私が今夜を楽しむことができないのは、まさにこの世界中にはびこっている祝賀ムードそのもののせいだった。
 誰もかれもが同じことをしていて当然と思い込まれていること。この夜に祝われているものが一面的なものでしかないと勘違いされていること。私はその賑やかさを目にする度、どうしようもない苛立ちを感じる。
 でも、私は今夜家に籠る代わりにあえて外に出た。それはもちろん、父が出かけると言ったからだった。この夜の喧噪の中を進むのは気が進まなかったけれど、私も父に付いていきたいと思った。というより、付いていかなければいけないと直感的に思った。
 だって、もしかしたら今夜の発表で、父は――
「どうした?」自分ではちょっと見ただけのはずだったのに、父にはそれを気取られていたらしい。父は何の気もなしに訊いたようだ。
「別に」私は前に顔を向けた。フロントガラスの蝶は翅をひらひらと動かすと、どこへともなく飛び去って行った。

 車は北西に進み、やがて遠くに工場地帯を臨む少し大きな道路に出た。さっきの大通りほどではないけれど、そこも交通量が多い。特に片側の車線、官庁街方面への道路は、いくつもの卵達が我先にと急ぐように混み合っている。平生の交通マナーも何もあったもんじゃない。私達の車はその車線に入る前、車列の車間距離と平均速度を律儀にも計算していて安全運転の姿勢を貫こうとしていたけれど、らちが明かなかったから、父が強制的に計算を中断させて、車列に適当な隙を見つけてそこに滑り込ませた。車はぎゅうぎゅうと詰まりがちな道路を進んで行った。
「あと三十分ぐらいか」父はようやく自分ので時計を見ることをした。自分に自信をつけるかのように小さく頷く。
 よく見ると、父は右の胸ポケットを上から触って中身があるのを確かめていた。家を出る前、車に乗るときも同じことをやっていた。一度確認するだけでは足りないらしい。
 でも、その中に入っているたった一枚の券が、今後の父の運命を決めてしまう。
 そして、その券こそが、今夜父がわざわざ家を出た理由に他ならない。
「見えてきた」父が窓の外を見て、ふいに呟いた。
 私にもその場所が見えた。父は目を細め、私はいろいろな感情がないまぜになったため息をもらした。ああ、とうとうやってきてしまったんだ。
 夜空を照らし上げるサーチライトの根元。今夜の宴の元凶。特別会場の形が見て取れた。そこには、世界が昼と夜との区別を付けることに真っ向から異を唱えたいかのように、けばけばしい人工の光の海が作り出されていて、空中には、さっき街中で見たものとは比べものにならない大きさの立体仮想モニターが雷雲のように浮かんでいる。〈Linking〉の仮想画面にも使われている技術の親戚みたいなものだったけど、あんな大きさをこの目で見たのは初めてだ。
 そのライトの向いている先やモニターの傾きは、よく見るとひとつの場所に焦点が合うように整えられているようだった。私はその先を見る前から、そこに何があるかは分かっている。
 空の霞みの中で輝いている、満月。
 人類が最後の開拓地と信じる土地。
 世界中の人の夢を吸い上げる場所。
 サーチライトとモニターで目線の誘導をするつもりなのだろうか。こんな演出で一般市民の思いを一つにできるとでも思っているのだろうか。私はこの祭りの主催者達の意図をちょっと鼻で笑ってみたい気分だったけれど、それすらも意味の無いことに思えて、やめた。

 目的地周辺に来た自動操縦車は、駐車場を探すために一旦会場からは離れる。父が運転制御パネルを操作していたけど、いちいち近くにある駐車場に行き先を設定しては、空いたスペースが無いか目視で探すという父の癖が始まりそうだったから、交通管理システムにアクセスして空きスペースの検索をするようにと忘れずに言っておいた。すると父は「忘れてたわけじゃない」なんて少し拗ねたかのように言うのだった。
 百メートル範囲で検索させると、すぐにどこも満車だという結果が返ってきた。徐々に範囲を広げていって、四百メートル圏内の立体駐車場ビルの地下にようやく一カ所見つけることができた。倒れた卵はそのビルの地下まで迷うことなく走っていって、唯一空いているスペースを見つけるとそこにすっぽりと収まった。隣の車にぶつかって、本物の卵みたいに割れる心配はない。
 父が子供だった頃は、こうやって空いた駐車スペースを探すのは交通管理システムではなくて運転者自身の仕事だったらしい。今から考えれば、随分と大変でエネルギーを無駄にしていた時代だと思う。でも、今の時代はそれが無くなった分、家族の車を運転する親が活躍できる出番も減ったことにもなる。父の癖にもその名残があるのかもしれない。今まで必要だった仕事がなんでも外部の仕組みに任せられるようになっていく。父はその過程を目の当たりにしてきた世代だ。そのせいなのか、父はテクノロジーが父のために進んでかいがいしく働く様子を見ていると、ときどき、ほんの一瞬、寂しそうな目をすることがある。車が自動でバックすることには、流石に慣れたようだったけれど。
 私と父は車を降りた。車内に誰もいなくなったので、車は自分でドアをロックする。広大な地下駐車場は冷え冷えとしていたけれど、耳を澄ますと、空調機械のごうごうという唸り声に混じって、地上のお祭りの騒音が聞こえてくる。
 ビルを出て、二人で夜道を歩いた。今までの道は溢れるほどの人や照明に満ちていたくせに、会場までの道はとんと人気が無かった。高い墓石のような官庁のビル群がひっそりと立っていて、私達だけの足音が、遠くからの音楽の残響に吸い込まれていった。
 父と一緒に歩くのは何年ぶりだろう、とふと思った。父と二人で車に乗ることも久しぶりなら、一緒にどこかへ出かけるのも久しぶりだ。父は昔も今も、仕事ばかりの人だった。出張で家を空けることなんて当たり前で、家で父と一緒に過ごした時間とか、家族一緒でどこかに出かけたという思い出も多くない。必死に働いて、私を何不自由ない家庭で育ててくれたことは、大きくなってから理解したし、私に好きな道を歩ませてくれたことはとても感謝している。だけれど、私の思い出の中に、父が登場することはほとんど無い。今週だって、私が大学から実家に帰ってきて、自宅で父と一年ぶりのぎこちない邂逅をしたばかりだ。
 それなのに、今夜という時に、他に誰もいない場所をこうやって二人で並んで歩いている。
「疲れたか?」父が私に訊いた。
 私は、「そうでもないよ」と答えた。
「本当によかったのか? 大学の研究で忙しかったんじゃ……」
「別に、一日休んだくらいでそう変わるもんじゃないし」
「そうか」と言って、父は黙った。
 持て余したような沈黙がまた訪れる。私はこれをどうしたものかと思って手探りしていたけれど、気付いたら既に特別会場の端に着いていた。

 

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