愛をください 6章 (2/2ページ)

「智恵理は、人の寂しいって気持ちを利用してる」いつもの階段で、私はお弁当にも手を付けず、真奈に話した。もはや名前は呼び捨てだった。「誰かと一緒にいたいっていう人の気持ちを見つけて、そこに付け込んでるの。それで、最後には智恵理自身に慕わせる。あの子はそれを、今までの全員にやってきたんだよ」
 真奈は黙って私の話を聴いてから、「でも、本当に全員にそういう気持ちなんてあったのかな? いつも友達と一緒で、楽しそうにしてる子だっていたし……」
「それは、私にも分かんない。これはただの考えだから。でも、現に皆、智恵理にくっついて、離れられないでしょ」私は、懐の手帳に挟んでいた、沢田里枝と交換した紙片の一つを取り出した。
〈おかしくなんかないよ。ただ智恵理ちゃんの側にいたいだけ……〉
「今まで智恵理とそれほど付き合いの無かった子でも、いつの間にか側にいたくなってる。きっと皆、そういう気持ちをかき立てられるんだ。どうしてそれがあんなに強くなるのかは、分からないけど……」図書室での光景を思い出して、背筋がぞくりときた。
「どうして皆、抵抗できなかったのかな、その気持ちに」真奈が小さな声で言った。
「理由は分からないけど……、智恵理の言葉をじっと聴いて、目を見てると、何だか、だんだん冷静じゃいられなくなる気がするんだ。自分の中で自信のあったものが、揺らいでくるっていうか。それと同時に、あの子が何か言ったら、ちゃんと聴かなくちゃいけないって、思わせられる」私は間を置いた。「あの子の話術なのか何なのかは、知らない。でも、あの子の言葉を聴いてたら、こんな気持ちになっても無理も無いな、って私は思う」
 真奈は、私の言っていることは理解したようだった。
「私達は、どうしたら良いんだろう?」
 束の間、私と真奈は見つめ合っていた。
「真奈は、心配しなくて良いよ。いざという時は、私が何とかするから」
 悲しげな顔をして、真奈は頷いた。

 私一人で帰り道を歩いていた時、前方の遠くに、智恵理と舞らしき二人が歩いているのが見えた。私は急いで鞄からスマートフォンを取り出すと、舞に電話をかけようとした。
 舞が自分のスマートフォンを持とうとして、それを智恵理が取り上げるのが見えた。間もなく、「ただいま電話に出ることができません」というアナウンスがスピーカーから聞こえた。
 走って二人を追いかけた。赤信号も無視して渡った。しかし、やはり智恵理達は角を曲がって、姿を消した。その狭い路地に、私は十五秒遅れで入った。目の前に小さな交差路があって、どこにも二人の後ろ姿は見えない。「舞!」大声で呼んだ。そして、運任せに一本の道を選んで、そこを再び走った。へとへとになって、喉が痛くなっても、舞を見つけることはできなかった。
 舞がやっと電話に出たのは、私が疲れ果てて帰宅して十時を過ぎてからで、それまでに三十回以上は試していた。
「もしもし、舞? 大丈夫? 聞こえてる?」
「ゆーみん。どうしたの、何回も電話してきて……」
 その声の虚ろな調子に、私は早くも絶望を感じ始めた。「今日、智恵理と二人で帰ってたでしょ。ねぇ、大丈夫なの?」
「ちえりんと……? なんだ、見られてたのかぁ。あはは」
「笑い事じゃないって。ねぇ、智恵理に何かされた?」
「え? うーん、それは言えないなぁ」
 私は電話を反対の手で持ち替えた。「お願い、言って。何があったの?」
 沈黙が私の気持ちを重くさせた。「そうだなぁ。ゆーみんがまなてぃーと付き合ってることを正直に言ってくれたし、私も正直に話そうかな。ねぇ……、皆には内緒にしてくれる?」
「……何?」
「私ね、ちえりんのこと……、好きになっちゃったんだ」
 私は、自分のベッドの上に座り込んだ。「お願い……、舞、正気になって。自分が何言ってるか分かる? あの子は普通じゃないって、舞も言ってたでしょ?」
「ちえりんってね、ゆーみんが思ってるような悪い子じゃないんだよ」舞は全く意に介していなかった。「ゆーみんも話してみれば、きっと分かるよ。ちえりんって、すっごく優しくて温かいんだ。皆が好きになるのも分かるよ。もうこれで私、寂しさを感じなくて済むんだ」まるで夢でも見ながら話しているかのような声だった。
 私は、自分の中にあるどんな言葉を使っても、もう舞の目を覚ませられないのだと悟った。
「早く明日にならないかなぁ。ちえりんと一緒にお弁当食べるの、楽しみだなぁ」
 もう私は電話を切っていた。ベッドの上に倒れて、腕で目を覆った。しばらくしてから、メッセージアプリを開き、都の連絡先を表示したが、何を書いたら良いのか、そもそも知らせるべきなのか、迷った。結局、〈舞が、取り込まれた。止められなかった、ごめん〉と書いて、送信した。そして、目を閉じた。

 翌日の木曜日、真奈に出会うと、昨日のことを話した。真奈は泣き出しそうな顔で私に抱き付いて、胸にその顔を埋めた。
「今日、これからどんな辛いことがあっても、耐えて」私は、そう言ってやることしかできなかった。
 教室に着いた時、舞は既に席に座っていたが、都はいなかった。舞は私達に気付かないみたいで、机の下で足をぶらぶらさせている。私は、自分の席に着いて、それ以上動く気になれなかった。
 智恵理が現れると、教室の中は一気に明るくなって、活気を取り戻す。智恵理がその場にいるかいないかということが、今のこのクラスの唯一の関心事だった。舞も立ち上がって、嬉しそうに智恵理と抱擁していた。
 その時、戸が開いて、都が入ってきた。目の下には隈ができていて、色々な感情がないまぜになった形相で、二人を見ている。
「智恵理」彼女の声は震えていた。
 気が付いた智恵理は、舞に頬を寄せて抱き合ったまま都を見た。「おはよう、都さん。どうかした?」
 都はゆっくりと二人に近づいた。私はいつの間にか椅子から立ち上がっていた。
「今までずっと耐えてきたけど、もう、限界。智恵理、あなたはこのクラスを滅茶苦茶にした。もうこんなことは止めて」
「滅茶苦茶にした?」智恵理は眉をひそめていた。「いつと比べて? 私が転校してくる前? でも、その時の様子なんて私は知らない。それより、今のこのクラスが全てでしょう」
「話をずらさないで」都が吐き捨てるように言った。
「あなたが言いたいことは本当にそれなの?」智恵理はまた訊いた。
 都は真正面から智恵理の目を睨んだ。上がっていた眉は次第に下がり、目は潤み、頬が赤く染まっていった。
「あなたは、寂しいのね」囁くような声で言った。私は胸騒ぎがした。
「それは、あなたも同じでしょう」
「なら、私があなたの側にいてあげる」
 私は息を呑んだ。
「その代わりに、皆を自由にしてあげて。もうこれ以上、他の子を巻き込まないで。私一人で、十分でしょう。それが約束できるなら、あなたを受け入れてあげても良い」
「都!」どうしてそんなことを思い付いたんだ。どうしてこんな時に自分の怒りではなく責任感で行動するんだ。本当に上手くいくとでも思っているのか。
 都の目が、ちらりとこちらを向いた。私を止めないで、と訴えている。智恵理は私を無視した。
「面白いことを言うのね、室長さん」智恵理が言った。「でも、私の側にいたいと言うなら、私は拒まない」
「その前にこの子達を解放して」
「その前にあなたの気持ちを確かめさせて」
 都はしばらく黙っていた。その目が舞の顔に向いた。私のいる所からは舞の表情は見えなかった。
「分かった」ついに頷いてしまった。「どうしたら良いの」
「じっとしていて」智恵理は笑っていた。舞の腰に回していた腕を解いた。そして、一瞬のうちに、左手で都の背中を、右手で後頭部を掴むと、都がたじろぐ暇も与えずに唇を重ねた。
 私は駆け出した。机の角に脚をぶつけるのも構わず、二人に近寄ろうとした。舞に腕を引っ張られた。
「良いの、ゆーみん」奇妙に穏やかな表情で、舞は首を振っていた。「これで良いの」
 智恵理は顔を離して、話し始めた。
「あなたは一つ勘違いをしていたみたい。この子達は自分の感情、自分の選択に従って、私の側にいるの。私は皆を拘束してもいない。解放しようもない」都は肩で息をして、顔を真っ赤にして、目はどこかここでは無い世界を見ていた。「ほら、今なら分かるでしょ?」
「ええ……」
「あなたが求めているものを私は与えられる。私が求めているものをあなたは与えられる。シンプルでしょう。そこから自分の意志で離れたいと思えば、あなたが求めるものは手に入らなくなる。あなたはそんなことをするの?」
「うん、しない……」都が微かに笑うのが見えた。「私は、そんなこと、しない……」
 席を立ってこの様子を見ていた真奈が、支えを失ったように後ろの椅子に倒れ込んだ。駆け寄ると、ひどく気分が悪そうだった。ホームルームが始まる前に、私は彼女を保健室に連れて行った。

 一限の授業が始まった時間から少し経って、真奈は目を覚ました。
「大丈夫?」私はベッドの側に寄って、真奈の頬や額に手を当てた。保健室の先生が、このまま早退するかどうか尋ねたが、真奈は、
「すみません、もう大丈夫です。後の授業は出られます」と答えた。ただ、その後しばらくは安静にしているよう指示された。私は教室に戻ることになったが、そこで先生が別件で呼ばれて出て行ったのを良いことに、そこに留まった。
「ごめん、夕実ちゃん。迷惑かけちゃって」
「ううん、謝らないで」私は言った。
「あの、もう一人で大丈夫だよ。夕実ちゃんは戻って良いよ」
 私は首を振った。「心配だから、もう少しいる」
 真奈は顔を俯けてしまった。「悪いよ、夕実ちゃん……。ほんと、授業行かないと」
「私がそうしたいだけだから。真奈は気にしないで」
 保健室の中にいると、授業中の校舎の静けさがよく分かる。何故か、私は息が詰まるような苦しさを覚えた。
「夕実ちゃん、私のことをいつも心配してくれて、私は凄く嬉しいよ。でも――」
 その時に、先生が戻ってきて、私は教室に帰らなくてはならなくなった。真奈は最後まで言わなかった。
 昼休み、私と真奈は、小野田美穂を誘って、教室を出た。今、あの部屋は智恵理の王国に完全に支配されている。
「正直、寂しいよ。友達が皆、智恵理ちゃんのところにしか行かなくなって」美穂はぼそぼそと話した。智恵理はその自分が作り上げた寂しさに付け込んでくるんだから、それを乗り越えるべきなのだけれど、そんな忠告をして慰めることに、私はもう意味を感じられなくなっている。
「ねぇ、夕実ちゃん達は、どうして今も智恵理ちゃんと付き合わないの?」
 二人とも何も言えなかった。
 その無言を答えと読み取って、美穂は納得したようだった。
「私は多分、智恵理ちゃんを拒めない。私を笑っても良いよ」私達より先にお弁当箱を片付けて、彼女は立ち上がった。「でも、私だって笑って過ごしていたいんだ」
 美穂を引き留める言葉も資格も、私達は持っていなかった。
「一緒にお昼食べてくれて、ありがと。じゃあ」

 真奈と二人で下校する時も、会話らしい会話は無かった。かつてはこの時間を楽しんでいたのに、今は居心地の悪さすら感じている。
 彼女は、私が側にいることを許してくれた。私が側にいることを求めてくれた。でも、今日の真奈は、私が近くにいると、いつも思いつめたような顔をしている。私は不安になってくる。しばらくの間忘れていたあの気持ちだった。
「じゃあね」別れる時に彼女を抱き締めたかったけれど、どういうわけか思いとどまってやめてしまった。私達は笑顔も見せないまま、それぞれの家路についた。

 

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