愛をください 6章 (1/2ページ)

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 お昼休みが来て、私はお弁当箱を持って立ち上がった。真奈も立って、私に目配せして、一緒に教室を出る。
 その階段は、教室棟の閉鎖された屋上へ通じる、薄暗い所で、まず人が足を運ばないような冷たい空間だった。私達はそこの一番上の段に並んで腰かけると、膝の上にお弁当箱を置いて、食べ始める。
 教室でお昼を過ごすことに、もう嫌気が差していた。都の忠告があっても、智恵理は一人ずつゆっくりと、クラスの子を籠絡することに成功していた。しっかりしている子でも、智恵理本人ではなく、その取り巻きになってしまった友達に声をかけられると、油断した。その子は友達の目を覚まさせることを決意して、一緒に下校しようとするが、いつの間にかそこに智恵理が加わるのだ。引き下がれなくなったその子は、翌日にはその意志を忘れていた。私達には止められなかった。少しでも彼女の言葉に耳を傾けてしまったら、それが最後だった。
 いつの間にか、教室で智恵理の王国に加わっていないのは、私と真奈、都、舞、瀬奈、そして小野田美穂という文芸部の子の、ほんの六人にまでになった。
 私達は、自分が外国かどこかに来てしまったように感じる。自分達が少数派になった時、おかしいのはあちらではなくてこちらの方なのではないかと思い始める。取り巻き達が、智恵理のことだけを考えて、心から幸せそうにしているのを見ると、私達はむしろ何もすべきではないのかもしれないと思う。
 でも、私には、隣に座っている真奈の方が大事だった。真奈だけは行かせないと心に誓っていた。他の皆を止めることができなかったけれど、彼女だけは守りたかった。無表情でお弁当を口に運ぶ横顔を見ながら、私は何度も自分に言い聞かせた。
 真奈は、目に見えて明るさを失っていった。お弁当もだんだんと喉を通らなくなっていった。それと共に、私の側にいることをより強く欲するようになった。二人で食べ終わって、喋ることも無くなると、あとは無言で私を抱き締める。私が抱き返すと、より強く私を引き寄せる。そして、目と目で見つめ合って、時には口づけをする。昼休みの終わる五分前のチャイムが鳴るまで、私は彼女の求めに応える。それが、私にしてやれることの全てだった。私は、どんな時も彼女の側にいなければならない。
「夕実ちゃん……」私から顔を離すと、眉間に皺を寄せて真奈は言った。「どうしたの? 怖い顔してる……」
「何でもない」私のことは気にしないでほしかった。真奈に必要なのは、心配することではなくて、ただ自分の求めたいものを求めることだ。
 それでも真奈は私の目をじっと見つめて、動こうとしない。「何でもないから」私は真奈の頭の後ろを手で掴んで、強引に引き寄せた。もう真奈は何も言わなかった。

「なあ」教室に戻ると、佐々木瀬奈が智恵理に声をかけている現場に遭遇した。彼女の王国は、水を打ったように静かになった。
「何かしら、瀬奈さん?」
「ちょっとコイツを貸してよ。話したいことがある」瀬奈は、亜樹の席の真後ろに立って、彼女の右肩を掴んでいた。当の亜樹は、まるで自分の置かれている状況が分かっていないみたいに、当惑している。
「ここで話せばいいじゃない」智恵理が言った。
「二人でちょっと話したいんだよ。良いだろ? 連れてくぞ」
「亜樹さん本人の意志は聞かないの?」
 瀬奈は智恵理をじっと睨みつけて、それから亜樹の顔を覗き込んだ。
「悪い、瀬奈……」亜樹は困った顔をしていた。「また後にしてくんない? 今、ちえりんと話してたところだからさ……」
 ゆっくりと瀬奈は身体を持ち上げて、何も言わなかった。次の瞬間には、智恵理の制服の襟に掴みかかっていて、私と都は足を踏み出した。智恵理は無抵抗に上体を引き寄せられていた。
「いい加減にしろよ、お前」額と額が付きそうなほどの近さで、瀬奈が低い声を出した。
「何のこと?」
「お前、何したんだよ? 亜樹だけじゃない……、こいつら皆に!」
 智恵理の表情は少しも動かなかった。そうかと思ったら、彼女はにやりと笑っていた。
「寂しいのね、あなたも……」
「ふざけんな。転校初日から何か変だと思ってたんだよ。やっぱり普通じゃない。いい加減に言えよ、お前何がしたいんだ?」
「あなたがしたがっていることを、私もしたいの。あなたと同じ」
 瀬奈の顔に、微かに動揺の色が浮かんだ。
「目を見れば分かる。あなたを不安にさせたのなら、謝るわ。でもね、そのうちあなたにも分かる。そうすれば、亜樹さんの気持ちも知ることができる」智恵理の右手が、瀬奈の手首を掴んだ。
 誰も何も言わない時間があった。瀬奈は智恵理を突き飛ばして、彼女の座っている椅子が後ろにずれ動いた。
「瀬奈!」私でも都でもなく舞が瀬奈の元に飛んできて、彼女を智恵理から引き離した。瀬奈と智恵理を交互に心配そうな目で見ている。智恵理の取り巻き達は、彼女の着衣の乱れを直していた。都は黙って舞を抱き締めて、舞がその胸に顔を埋めた。そこでチャイムが鳴った。私は、立ちつくしていた真奈の背中を押して、自分の席に帰してやった。亜樹はまだ戸惑った顔のままだった。

「あ、ゆーみん」
 下駄箱で舞と出会った。さっきまで暗い表情だったらしいが、すぐに顔に笑みを浮かべた。「今から帰る?」
「うん。舞も?」
「そ。一緒に帰る?」
 智恵理は一人で学校を出たようだった。彼女を毎日監視しようとしても、いつも最後には逃げられてしまうので、私達にはお手上げだった。今日は真奈と都、美穂はそれぞれ部活で、瀬奈は知らないが、彼女の靴はもう無い。昼のことがあったから、そう簡単に智恵理の口車に乗せられることは無いと願いたかった。
「良いよ。行こうか」
「いやー、こうしてゆーみんと二人で帰るのって、久しぶりかも」
 舞が空元気を出していることは、嫌でも分かった。そうすることが自分の役目だとでも言うかのように。でも、二人で歩いていても、以前のように明るく話をする気力は無いみたいだった。
「今日の昼のあれ、びっくりしたよ」私から話題を振った。
「あれって?」
「瀬奈を引き止めてた」
 舞は頭を掻いていた。「あれは、もういてもたってもいられなくて、気付いたら……」
「でも、止めなかったら、どうなってたか分かんなかった。あれで、良かったんだよ」
 舞は俯きがちに歩いて、しばらく黙っていた。そして、「怖かったんだ」と口を開いた。
「え?」
「確かにさ、誰がどう考えたって、ちえりんはおかしいよ。上手く言えないけど、普通じゃないもん……。でも――」舞は顔を上げた。「――あそこで、瀬奈っちが喧嘩を始めちゃったら、もう本当にクラスがばらばらになって壊れちゃうって。そうなるくらいだったら、まだ皆が笑ってる方がマシだって思って……」
 舞がいつもふざけているように見えて、実は周りの人間関係に人一倍敏感であることには、気付いている。自分を積極的に外へ押し出していくことで、皆の顔を明るい方へ向かせようとするのだ。舞はそういう環境でなら、元気でいられる。
 彼女にとって、今のクラスは、もう戻ることができない場所まで来ているようだった。
「ごめん、とにかく、あれはそういうわけ」舞はまた笑顔になった。「またあんなことがあったら、私が止めるから」
「私も手伝うよ」
 そう言うと、舞が私を肘で小突いて、にやりと笑った。
「話変わるけどさ……。まなてぃーとは最近、どうなの?」
「何が?」
「もー、隠さなくても分かるんだぞー。最近お昼になるといつも二人でいなくなってるし、都りんも何となくそれっぽいこと言ってたし。で……、どうなの?」
 都もよりによって、何で舞に話したんだ。白を切ろうかとも思ったが、どうせ信じないだろう。私は実際に使われた言葉で答えてやった。「真奈とは……、友達以上だよ、確かに」
「きゃー」また舞が肘で小突いてきた。「二人とも元々すっごく仲良かったもんね。お似合いだよ!」次の瞬間には、声の調子は落ち着いていた。「ま、からかうつもりとかじゃ、全然ないよ。私、そういうの変だとは、思ってないから。言ってほしくなかったら、他の皆には言わないし」
 舞が本気で人を傷つけるほど、ふざけることは無いということにも、私は気付いている。「そうしておいてくれると、助かるな」
「オーケー」
 しばらく間を置いてから、また尋ねてきた。「告白とかした? どっちからだった?」
「真奈の方から」
「え、どんな感じに?」
「私の誕生日の晩に、二人きりになった時に……」ようやく気恥ずかしさを感じて、尻すぼみになった。
「あの日か! そっかぁ……、まなてぃーもやるじゃん! 普段大人しいと思ってたけど」うんうんと舞は頷いた。「まなてぃーのどんなところが好きなの、ゆーみんは?」
「どんなところって……。上手く言えないよ」
「えー。好きな人の良いところくらい、言えなきゃダメじゃん!」
「うるさいな……。舞も好きな人できたら分かるよ、言葉じゃ言えないの」
「あ、嫌味だ! くぅーっ、人生充実してるからって良い気になんなよー!」
 そこまで話したところで、私達は別れた。私と真奈との関係について初めて人から話されて、落ち着かない気分だった。けれど、舞はやっぱり味方でいてくれるのだと思うと安心はできる。
 少しの間だけ、今あの教室で起きている問題を忘れたくなった。このまま私と真奈との関係が続いて、舞と都とも友達のままでいて、何の心配も無く笑っている毎日のことを想像した。

 次の日の朝、瀬奈は見たこともないような深刻な顔で席に座っていた。その時から私は嫌な予感を覚えていた。智恵理が入ってきた時にも、明らかに落ち着かない様子だった。智恵理と取り巻きとの抱擁がようやく終わると、瀬奈は立ち上がって、ふらふらとした足取りで彼女に近づいた。
「なあ」力ない声で瀬奈が言った。「あたしも側にいて……、良いか?」
「ええ」智恵理は微笑んだ。「歓迎するわ」
 すると、今日初めて瀬奈の顔に、笑みが浮かんだ。舞は両手で顔を覆っていた。
 私はふと、亜樹の方を見た。智恵理と瀬奈の側にいると言うのに、元気が無い様子だった。それを見て思い付いたことがあって、私は亜樹が一人になるタイミングを探した。
 三限目と四限目の間の休み時間、亜樹がトイレに行くのを見て、私も立ち上がった。智恵理は他の子に構うのに忙しい。「亜樹ちゃん、ちょっと良い?」休み時間が残り五分というところで、彼女の腕を引っ張って渡り廊下まで連れて行った。改めて亜樹の顔を見ると、疲れが取れていないような、やつれている感じがあった。
「呼び出してごめん、でもよく聴いてね。いきなりだけど、亜樹ちゃんが智恵理ちゃんと仲良くなり始めた頃、どんな話をしてたか覚えてる?」
「仲良くなり始めた頃って……、そんなのだいぶ前だし」
「何とか思い出してよ。智恵理ちゃんはどんな話に興味を持ってた?」
 あまりに勢い込んで尋ね過ぎたと気付いた。亜樹は首を振っている。
「ちょっと、ここ最近疲れてるから……」
「ごめん、無理させちゃって……。最近、陸上部休んでるんだっけ?」二限目の休み時間、他のクラスの子が心配して声をかけに来たところを見かけた。
 亜樹は力なく笑った。「なんか最近、色んなことにやる気出なくてさ。もういいや、って。聞いたら、紗江もそんな感じだってさ」
「紗江ちゃんも?」私は胸騒ぎを覚えた。紗江は今日、欠席している。「亜樹ちゃんは、何かあったの?」
 しばらく亜樹の目は泳いでいた。「これ、絶対にちえりんに言わないって誓える?」
「誓う」
「分かった……。正直言うとさ、あたし、ちえりんのことで普段頭が一杯なんだ。ちえりんが凄く可愛いくて。でも、それがずっと続いて疲れてるんだ。なのに、自分じゃどうしても考えることを止められなくて、どうしようもなくて、けどちえりんが側にいると、一杯愛してくれるから忘れられて、でもちえりんがいなくなると……」彼女の喋りは要領を得なくなってきた。
「ねぇ、これだけ訊かせて。智恵理ちゃんと今みたいに仲良くなれたきっかけは?」
 彼女は言葉を絞り出した。「あたしね、他校の男子と付き合ってたことあるんだ。でも、ちえりんが転校してきた頃にフラれて。結構落ち込んでて、寂しかった。でも、ちえりんに話したら、親身になって慰めてくれて。あの子の側にいれば、寂しくなくて済むって分かった」そして、微笑んだ。「だから、あたしはちえりんのことが好きなの」
 そこでチャイムが鳴って、私達は教室に戻ることになった。私の中では、一つ考えができた。

 

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