愛をください 4章 (2/2ページ)

 真奈は、一緒にいる時間を増やしたいと言っていた。あの告白の前後で、真奈は少しずつ積極さを増してきた気がする。主に私に対してだけれど。朝はこれまで通りにしかならなかったが、一緒に下校できる月曜日と木曜日は、真っ直ぐ家に帰らないということが増えた。どこかに遊びに行くこともあったし、当てもなく散歩するだけのこともあった。
 それぞれが帰宅して夕食やお風呂を済ませた後の十一時頃は、電話で長々と話した。何か意味のあることを話すわけじゃない。ただ一緒に話しているということを楽しむためだけに話した。私はその間、安堵と幸せを感じることができた。それは一日の終わりに無くてはならない時間になった。二人の日常をお互いで作り上げていくのだという思いがあった。
「やっと解放されたね」
 中間テストが全て終わると、私達は帰りにファストフード店に立ち寄った。
「今日の数学Ⅱが六割行ってれば良いや。公民は点数稼げたと思うけど」私はストローでカップの中の氷をかき混ぜた。
「夕実ちゃんが教えてくれたから、私は英語で七割超えられると思う!」
 テストが近づくと、私達は授業後に二人で集まって、勉強を重ねた。図書館が人で一杯の時は、真奈と私のどちらかの家に行って、そこで七時から八時くらいまで集中した。それが毎日続いた。以前のテストでも二人で勉強したことはあったが、今回ほど一緒に長く過ごしたことはない。
「この後、どうする? どこか寄ってく?」私は訊いた。
 真奈は宙を見つめて「うーん」と声を出していた。
 店には、同じようにテストを終えた高校生達が溢れていて、カウンターの前には長い行列ができ、入口の自動ドアはほとんど常に開きっぱなしだった。ふと、私はその行列の中に、聞き覚えのある声を聞いた気がして、何気なくそちらに目をやった。そして顔を逸らした。東智恵理と、その前の席の吉田紗江だった。
「ねぇ、智恵理ちゃんと紗江ちゃん、今レジにいる」私は真奈にそっと囁いた。
「ほんとだ……。智恵理ちゃんを外で見かけたの、初めてかも」
 確かにそうだった。私が知っている智恵理の姿は、教室の中で優等生然として座っている時のそれと、自分の家で人の唇を奪おうとしている時のそれだった。こんな風に、学校を出てから誰かと付き合って遊ぶこともするとは、想像しなかった。
 もう一つ意外だったのは、紗江だった。二人が一緒にいるところはそれなりに見てきたけれど、いつの間にこうして学校の外でも連れ立って歩くような仲になったのだろう。ふと、先日亜樹が教室で智恵理にべったりしていた光景を連想した。知らない間に、智恵理と周りの人との距離が縮まり、本人達は当然のようにしている。
「どれにする、智恵理ちゃん?」紗江の声が聞こえてくる。
「そうね……、ハンバーガーのセットと、アップルパイとアイスを頼もうかな」
「結構食べるんだね! 太ったりしない? 大丈夫?」
「私、すぐお腹が空いちゃうの」
「えー、智恵理ちゃんってそんな食いしん坊キャラだった?」
 二人が笑う。私の考え過ぎかもしれない。席が近くだったら、時間が経って気が合ってくるのも、不思議じゃない。私と真奈がそうだったように。
「もう行こう」真奈に声をかけて、席を立った。ゴミを捨てて、裏のドアから店を後にした。

 改めて、この後どうしたいか話し合って、真奈の家に上がることにした。テスト期間中何度も来たけれど、私にとってはとても居心地の良い場所だから、また上がりたくなる。
 家は二階建ての一軒家だ。真奈のお母さんは、懲りずに遊びに来た私を丁寧に迎えてくれた。真奈によれば、私は「いつも礼儀正しいお友達」と思われているらしい。
 もちろん、真奈は私達の間にあったことを、家族に話してはいない。そのせいか、その場に母親がいると、真奈の表情にはどことなく緊張が浮かぶ。自分の部屋に入ると、ドアに鍵までかけるのだ。
 いつかは話すことになるのだろうか、とぼんやりと考えた。真奈の家族だけじゃない、私達の周りにいる全ての人々に。でも、私も真奈と同じく、恐れている。私達の関係は、秘密だからこそ成り立つのかもしれないのだ。だから、今の私達はお互いだけを見て、周りにある世界に気付かない振りをしている。
 でも、とにかく私は満ち足りていた。真奈は私の側にいたいと言っていて、私はそれを受け入れてやれる。これだけで十分だった。これが、きっと私達の望んでいたものだった。こうして、当たり前のような距離感を手にするのだ、二人で。
 部屋に持ってきたジュースも飲み終えて、二人とも思い思いに過ごしていた。真奈は床に置いたクッションの上にごろんと横になっていて、私は真奈のベッドに座らせてもらった。
「何してるの、夕実ちゃん?」
「ううん、何でも」私は手元のスマートフォンに目線を落とした。「音楽のリストを整理してるだけ」
 真奈はしばらくこちらを見ていたが、起き上がるとこちらまでやってきて、ベッドに並んで腰かけた。そして私の画面を覗き込む。
「わ、たくさん曲入ってる」
「そうでもないよ」ほんの五百四十九曲入ってるだけだ。もっと容量が大きければ良いのだけれど。今操作しているのは、洋楽関連のプレイリストで、真奈の知っているアーティストはそんなにいないと思うけれど、彼女は熱心にそれを見ていた。
 スマートフォンには、真奈のプレゼントのイヤホンが挿してあって、それが私の脚の上に垂れている。「ねぇ、真奈……」
「何?」
 イヤホンの片耳分のコードを持つと、それを真奈の顔の前に差し出した。
 真奈は一瞬きょとんとしていたが、ちょっと困ったように微笑むと、それを受け取って自分の耳にはめた。私ももう片方を付けていた。
「何の曲、聴くの?」
「最近のお気に入り。イギリスのアーティストの曲なんだけど」
「でも、私英語は分かんないよ」
「大丈夫だよ、分かんなくても」真奈の目を見た。「ただ、聴いてみてほしくて」
 そして、再生を始めた。既に数えきれないほど聴いたイントロが、今は私の片耳に流れる。

 こんなことをしたのは、私にとって大切なものを真奈と共有してみたいと思い付いたからだった。曲が終わると、私と真奈はしばらくの間、部屋のどこかの一点を見つめていた。近くにある互いの顔を見ない。
「歌詞とかは分かんないけどさ」ぽつりと真奈が喋り出した。「でも、切ないけど温かさがあって、良い曲だね。私、この曲好きかも」
 私は微笑んだ。「良かった」
「ラブソング、だよねこれ?」
「うん」
「夕実ちゃんもそういう曲、聴くんだね」
「それどういうこと?」
 真奈が笑って、イヤホンのコードにその振動が伝わる。
「普段あんまりそういうイメージ無いから」
「じゃあどんなイメージ?」
「もっとカッコいいロックを聴いてるイメージ、かな」
 何それ、と私は苦笑した。「まあ聴かないわけじゃないけど」
 その後も私達は一緒に曲を聴いた。一つの画面を見るために、身体を寄せ合った。気付いた時には真奈は私の肩に頭をもたれていて、私は真奈と手を重ねていた。アルバムを一つ聴き終えた時も、私達は無言のままだった。その場からどこにも行きたくなかった。私達は二人で体温を共有している。
 真奈が自分と私の耳からそっとイヤホンを外して、私の身体に腕を回した。私も彼女の背中を抱き寄せた。私達は互いに目を離せない。何かを求めているけれど、口に出せばそれが途端に衰えて色あせてしまうと思って、何も言わない。私の視界には真奈の姿しか存在していなくて、きっと彼女はその反対だった。
 真奈の手が私の両腕に移って、そっと握ってきた。それらは、気付くか気付かないかぐらいの微かな力で、私をある方向へ確実に引き寄せていた。私は今度は最後まで抗わないと決めた。あの時とは、違う。あの時のことは、忘れる。
 こんなにも近くで顔を見たことは無かった。出会ってから今まで、私は一体彼女の何を見てきたんだろう。それが触れ合う寸前で、私達は二人とも止まった。まだ今なら、これをしなかった時の自分の人生を想像できる。全てお互いの気まぐれだったんだと思うことができる。でも、二人ともそれはしなかった。私と真奈は、瞼を閉じて、最後まで顔を近づけた。
 自分の唇が触れているものが分からなかった。不思議だった。二人で同じことをしているはずなのに、自分だけ全然見当外れの間違ったことをしているのではという気になる。でも、目を開けたくはなかった。ただこの感覚に集中することだけを考えた。
 顔を離すと、真奈の瞳と唇を交互に見た。そして、また抱き締め合った。何か言うべきことがあると思って、その言葉を探していた。
「好きだよ、夕実ちゃん」真奈が先にそれを探し当てた。だめだ、私の言いたいことも、したいことも、全部真奈の方が先にしてしまう。私はいつものろまだ。
「私も好きだよ」ようやく耳元に囁いた。そして、腕に一層力を込めた。

 朝、人通りの少ないところを、二人で手を繋いで歩くことは、新しい習慣になっていた。その日はいつにも増して寒くて、学校の近くになっても私達は手を離しがたかった。
 別にこれぐらいのことなら、こそこそと人目を気にする必要は無いかもしれない。でも、女の子達は、人と人の間の関係性に微かな変化があると、それに敏感に気付くものだ。私も、陰で何か噂話をされたら嫌だと思った。教室とは、そういう可能性があるところだと知っていた。
「おはよう、夕実、真奈」
 ふいに室長の都に後ろから声をかけられて、振り向く時に私達は手を離してしまった。その様子を都は見ていた。
「どうしたの?」
「ううん、何でも……。おはよう」真奈は笑った。「都ちゃん、今朝はちょっと遅いんだね? いつも私達より先に教室着いてるじゃん」
「まあ、そうだけど……」彼女の表情が陰った。「夕べはちょっと遅くまで考え事しててね」
「考え事?」私は訊いた。
 都は、どう説明するか思案するように宙を見つめて、それから後ろを振り返って誰もいないことを確かめた。私達に近づいて言った。
「最近、智恵理ちゃんの――というか、その周りにいる子達――の様子がおかしいと思うの」

 

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