愛をください 3章 (2/2ページ)

 教室に入るなり、舞が私を見つけて、晒し上げるように「ゆーみん、おめでとう!」と叫んだものだから、クラスの皆から一通り祝われることになった。真奈のようにプレゼントを用意してくれた子もいた。髪留めだったり、文房具だったり。舞は、自分が最近ハマっているという漫画本のセットを、室長の都は、手帳をくれた。「都りんのプレゼント、地味過ぎー」と舞が突っ込んで、「何であんたがケチつけるの」と都が良い返す。誕生日をすっかり忘れていたか、そもそも知らなかったという子も、たまたま持っていたお菓子をくれたりした。
 家を出た時より、鞄がずっと重たくなっている。不思議と、その重さが私をほっとさせた。今まで気にし過ぎていたのかもしれない。智恵理の言ったことなんて、悩む必要は無かったかもしれない。
 ちょうどその瞬間、彼女が教室に入ってきた。鞄を持つ私の手に、いつの間にか力がこもる。
「何かあったの?」いつもよりも少し賑やかな朝の教室を見て、智恵理が飯田亜樹に訊いた。
「今日はゆーみんの誕生日なんだって」亜樹が答えて、私の方を見る。智恵理もそれに倣う。
 私は何とか笑顔を作った。「おはよう、智恵理ちゃん」
「おはよう。誕生日って知ってたら何か用意したのに、ごめんね」
「ううん! 大丈夫だよ、気持ちだけで十分」私は自分の席の方へ後ずさった。
「そう。とにかく、誕生日おめでとう」礼儀正しく微笑んで、彼女は自分の席に着いた。そして、亜樹と何かおしゃべりを始めた。

 昼休みの間に、朝貰ったお菓子などを食べたので、午後の授業はいつもより眠気が強かった。授業に集中できないでいると、黒板よりも皆の後ろ姿に目が行くようになる。真奈は真面目に取り組んでいるように見えたけど、よく見るとペンがあまり動いていなかった。また上の空だ。一体何を考えているんだろう。私はまだ気付かない振りを続けた方が良いのか。
 その日の授業が終わると、真奈は鞄を持って私の席までやってきた。「行こっか」
 靴を履き替えて、玄関を出た後、何気なく後ろの下駄箱の方を振り返った。智恵理が亜樹と連れ添ってやってくるところが見えた。二人とも笑顔で、とても仲が良さそうに見える。
「どうかした?」真奈が訊いてきたが、その時にはもう下駄箱が見えなくなるところまで歩いていた。
「ううん、何でもない。で、これからどこ行くの?」
「夕実ちゃんの誕生日なんだから、夕実ちゃんが決めて良いよ」
 といっても、特に行きたいところなんて無かった。お腹は空いていないし、カラオケという気分でもない。「特に行きたいところ無いかなぁ。真奈は?」
「え? 私も、どこでも良いよ……」
 これじゃあ決まらない。でも、後ろから歩いてくる智恵理に見つかると、面倒になりそうだという思いが働いて、とりあえず学校から離れたかった。
「じゃあ、駅前にする?」
 そこに行けば、どこか遊べる所が見つかるだろうと思っていたが、実際はそうでもなかった。ビルの一つに入ると、それから雑貨屋やアクセサリー店、本屋などを巡って、漫然と時間を潰した。別にそれが嫌だったわけじゃない。ただ、せっかく真奈が私を誘ったのに、こんな過ごし方をしても良かったのだろうかと思った。
「もう、帰る?」私は時計を見て言った。二人とも何も買っていなかった。
「そう、だね。他に行きたいところ無いなら」
「じゃあ、行こう」

 日は既に暮れていて、街灯の青白い光の下を二人で歩いた。北から風が強く吹きつけてくる。
「私の誕生日って、毎年こんな感じなんだ。秋も終わりがけで、寒い日ばっかり」
「やっぱり、イヤホンより手袋とかにした方が良かったかな?」真奈が寒さを堪えて笑っていた。
「ううん、あれは凄く嬉しかったよ。ていうか、真奈の贈り物なら、何でも嬉しい」
「そっか……」一際冷たい風が来て、真奈は首を縮めた。「良かった」
 寒がりの身体が、小さく震えている。もう喋りながらゆっくり歩くんじゃなくて、早く家に帰してあげた方が良いと思っていたところに、
「ねぇ、夕実ちゃん……」ふいに交差点の角で真奈が立ち止った。
「何?」
 その表情は、寒さのためというより、何か別の理由のために硬くなっていた。
「今から話したいことあるんだ、夕実ちゃんに。大切な話だから、できるだけ、人がいないところに寄りたいんだけど……」声は尻すぼみになって落ちていった。
「外だと風邪ひいちゃうよ。後で電話じゃダメなの?」
 真奈は首を振った。「直接、話したいの」
 きっとこれが理由で私を遊びに誘ったんだろうと、その気付いた。「分かった……。じゃあ、どこにする?」

 その公園は人気が無かった。住宅街の間を流れる、コンクリート護岸の川に沿った形をした公園だった。街灯と街灯の間の薄暗いところにベンチを見つけて、そこに無言で座った。真奈はずっと伏し目がちだった。私は彼女が話し出すのをじっと待った。
 近くを通った車の音が聞こえなくなると、ようやく口を開いた。「あの、今日はありがとね。一緒に遊んでくれて」周りに聞こえるのをはばかっているような、小さな声だった。誰も近くにいないのに。
「ううん、大丈夫だよ、それは」
 また間があった。真奈は何を喋るかを慎重に考えて、それでもなおそれを口にすることをためらっている。そんなに勇気が要る話なのか? それを想像して、私も心静かではいられなくなってきた。
「あの、変なこと訊いてもいい?」
「何?」
 再び、躊躇のための沈黙。真奈は両足を落ち着かなげにもぞもぞと動かしていて、両手は、膝の上に載せている鞄の端をぎゅっと掴んでいた。
「夕実ちゃんってさ……。好きな人って、いる?」
 私は、この後に真奈がどんな話をするのか想像しようとしていた。ふと思えば、真奈が私と恋愛の話をするのは珍しかった。
「いない、けど。どうして?」
「夕実ちゃんに、伝えたいことがあって。ずっと勇気が無かったんだけど、でも、今日は夕実ちゃんの大切な日だから。言わないで後悔するより、言った方が良いと思ったから」
 真奈は、小さく息を吐いていた。そして、深く吸った。口を小さく開けて、次の言葉を自分の口から引き出そうとする。私は、その言葉を待っている。それがどんなものか、私は分かり始めていた。聞いたことも無いはずなのに。
「私……、夕実ちゃんのこと、好きなんだ」
 それでも、私の鼓動は速くなった。どんな言葉で答えるべきなのか、考えられなかった。自分が今いる場所が、徐々に現実感を失い始めた。
 私が何も言わないでいると、真奈は耐えきれなくなったように頭を下げた。「ごめんね、迷惑だよね、急に言われても。ほんと、自分でも、分かんないんだ。誰かのことを好きになるってよく分かんなくて、自分が女の子を好きになるって思ってなくて。でも、一度夕実ちゃんのことを意識したら、どんどん止まらなくなって、今よりもっと側にいたいって思うようになって、それで……」
「落ち着いて」私は真奈の背に手を置いた。身体がびくりと震えた。「ゆっくりで良いから。無理しないで、ゆっくり」
 真奈は自分の荒い呼吸を鎮めるために、長い時間を使った。

 一年生の時も私達は同じクラスだった。同じ通学路を使っているのは互いに知っていたが、最初は声をかけることはなかった。「口数が少なくて、話しかけづらかった」というのは、後で真奈から聞いた当時の私への印象だ。初めてまともに会話したのは、五月に席替えをして隣同士になった時。お弁当を一緒に食べながら、その澄んだ声が私の印象に残った。控えめな子だと思っていたけれど、放送部では朗読をやっていると聞いて、意外に思った。少し親しくなると、人懐っこいところも見えてきて、私は高校に入って初めて、誰かの側にいて心地良さを感じた。そして、毎日一緒に登校するようになった。
 私が一人暮らししている理由が「両親が二人とも長期出張しているから」ではないということを打ち明けたのが、夏の半ば頃だった。互いの家のことを話すようになるにつれて、私は建前を通し続けることに息苦しさを感じた。私は全てを話した。話し終えた瞬間、聞きたくもないだろうことを無理に聞かせてしまったことを謝ろうとした。でも、真奈は「話してくれてありがとう」と言った。その時、私は、本当の意味で友達に出会ったのだと思った。
「夕実ちゃんが本当の事情を話してくれた時、嬉しかったんだ。言いづらいことなのに、こんなに正直に話してくれるくらい、仲良くなれたんだって。私のことを信頼してるんだって。私も、今まで夕実ちゃんみたいな親友はいなかったから。きっと、その時から意識してたんだ、ずっと。それまでいつも独りで頑張ってたんだ、でも私なら側にいてあげられるって。もっと側にいてあげたいって」真奈の声は、今は奇妙なほど落ち着いていた。「夕実ちゃんが色んな人と打ち解けるようになったのは嬉しかったけど、でも少し寂しかったんだ。何か、夕実ちゃんが私から離れていくみたいで。そんなこと思っちゃいけないって分かってたけど、だんだんそういう気持ちが強くなってきて、自分でもどうしたら良いか分かんなくなってきて……」
 寒さが一層強くなってきた。
「絶対がっかりしてるよね、友達だと思ってたのに、って。うん、本当そうだよね。私が話したかっただけなの、今日は」真奈はすっと立ち上がって、こちらを向いた。目元が赤くなっていた。「ごめんなさい」頭を下げて、踵を返そうとした。
「待って」真奈の右腕を掴んだ。彼女は振り返らずに固まっている。私は、自分が何を言うべきか考えた。
「ただの友達じゃないよ。だって、初めて心を開けた人なんだよ。そんな風に思うわけないよ。いつも、一緒にいてくれたじゃん。離れてなんかない」私は真奈に歩み寄った。「確かに、今、凄いびっくりしてるよ。こんなこと、初めてだったから。でも、私も早く気付くべきだったんだ。そうしたら、こんなに真奈を苦しませることなかったんだ」
「違うよ……」泣き出した真奈の身体の震えが、掴んでいる腕から伝わった。「全部、私が勝手に思ってたことだから。夕実ちゃんに、気を遣わせないようにしてたから」
 今ごろ気付いた。私が不器用な人間だとしたら、真奈も本当は同じくらい不器用なのだ。「話したいこと話したら、私から離れちゃうの? 今までずっといてくれたのに? ねぇ、本当は真奈はどうしたいの? まだそれを聞いてないよ……。言ってごらん?」
 真奈が落ち着くまでまたしばらく待った。彼女はゆっくりとこちらを振り向くと、私の目を見て、言った。
「夕実ちゃんと、友達以上に、なりたい」
 私にとって、それは許しだった。自分がこんな言葉を聞くことができるなんて思ったことは無かった。でも、私はそれをずっと望んでいたのだと気付いた。私自身も、目の奥から何かがこみ上げてきそうだった。
「こんな私でも、良かったら」
 どちらからともなく、私達は抱き合おうとした。温もりを感じる直前に、私の脳裏には、またあの夕暮れの部屋のことが浮かぶ。泣きはらした後の真奈の瞳に、似ても似つかないはずのあの子のそれを重ねる。ねぇ、これがあなたの言う「永遠」? 私は今、これまでの人生で一番奇妙なことをしていると思った。ここ最近で、私の外側も内側も、色々なことが変わりすぎている。
 そうだ、私は少し変わってしまったのだ。全部、あの転校生が来てから。

 

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