夜空の寿命

Twitter#深夜の真剣文字書き60分一本勝負企画 参加作品
お題:「星」 (※制限時間切れ後の再投稿です。)

 
 望遠鏡の暗闇の中に、ふいにまた一つ輝きを見つけると、童心に返ったように喜んでしまう。ろうそくの上で、最後にほんの小さな粒と化した火のような、滲んだ赤色。でも、まだこの星は生き残っているようだった。僕は観測のデータが電子的にしっかり記録されたのを確かめると、今度は回転椅子の向きを変えて、右隣りの机の上に置かれた紙に、同じデータを書き込み始める。印刷用のインクがだいぶ昔に手に入らなくなった時からこうだった。あらゆる情報の予備を保存するべし、それも物理的に、とはいつから定着した常識だったか。一世紀前に太陽が地球上にもたらした災害に懲りた時からか。とにかくそれは意味があることだった。デジタルと紙のどちらが長く生き残れるのか、結局誰にも分からないから。
 彼女が部屋のドアを開けて入ってくる。今僕のやっているような手作業は彼女がやることもあったし、実際そうやって作業を交代で分担してきたものだったけれど、彼女は階下でお茶を入れてきたのだった。人工茶葉のお茶だ。濾過された飲料用の水でできている。あとで浄化装置は掃除しないといけない。
「まだ消えてないんだね。良かった」
 彼女が、僕が今記録している星の番号を見て言う。
「少なくともあと一年は大丈夫なんじゃないかな」僕は見積もった。もちろん、天体に関してははっきりと予測を立てることは難しくなっているけれど。
 ペンを置いて、机の上に置いてくれたお茶を少し飲む。燃料などは今は節約しているからぬるいけれど、僕にはこれぐらいがちょうどいい。彼女も別の椅子に座って飲んでいた。
「今夜はいくつ?」彼女が訊く。
「七百十一。今のところは」
「先月よりもう二個減ってるね、この時間なのに」
 僕は返事をせずに、また望遠鏡を覗く。深さの分からない黒色が広がっている。地上の天体観測者の仕事は、かつての時代のそれとはもはや変わってしまった。暗闇に目を走らせて、夜空の寿命を記録し続ける仕事。まだ残っているもの、数万光年先で消えていたものを探す。それを記録する。
 彼女は毛布に身を包んで、ため息をついた。「半年後のあれのことだけどさ」そう切り出してきたが、僕はできればその話題はやめたかった。
「行く気は無い?」
 夜空は音を出さないので静かだった。目の前のレンズは、相変わらず黒で満ちている。
「半年後じゃなくても良いだろ」僕はやっと答えたが、反応が怖くなった。
「いつまで続けるつもりなの?」
 いつか答えなければならない質問だとは思っていた。
 僕はためらった末に、「星がある間は」と答えた。
「私達が死ぬよりも早く消えると思う」
 それは僕も感じている予感だった。今、夜空は死んでいっている。黒に呑まれていっている。
「それか」彼女は付け加えた。「この星の方が先に無くなるか」
「君はどうしたい?」と訊いてみる。
 彼女もすぐに答えを返さず、椅子の上で両脚を抱えて、顎を膝の上に乗せて、黙っていた。やがて、「いつまでもこのままではいられないと思う」と呟いた。そして、「でも、私一人では行きたくない」と言った。
 暗い天球を観察し続け、この時間帯で今見える星はもう全て記録し終わった。彼女が指摘した通り、先月より二個減っている。三か月前から明るさが落ち続けている星もある。その星とこの地球との間に、遮ろうとするものがあるからだ。ガス状の物体かもしれない。もしかしたら、生命体かもしれない。とにかくそれは宇宙の闇と同じ色をしていた。ある時から、常軌を逸した速度で拡散して、星を飲み込んでいるらしかった。
 地上でそれを眺める僕らにはどうしようもないことだった。僕らにできるのは、ただ看取ることだった。
「もう少しだけ続けたいんだ」僕は記録紙をまとめながら言った。「きっとそれからでも遅くないと思うから」
 彼女は黙っていたが、しばらくして両脚を下ろして立ち上がり、僕の傍に近寄ると、望遠鏡を覗きこんだ。「別に、お父さんのことはもう気にしなくていいんだよ。もうこれは譲られたんだから」
 僕は首を望遠鏡へ向けて、鏡筒の全体を目で見た。そして、初めてこの望遠鏡に出会った日のことを思い出した。
「でも、僕がこれを使っている目的は、君のお父さんに譲ってもらった時から変わってない。僕はできるだけ、見届けたいんだ。この場所で」
彼女は今は顔を上げて、肉眼で宇宙の方をただ見ていた。僕の話を聞いているのかどうか分からなかった。
「見て」
 彼女が唐突に呟くので、僕も反射的に見上げると、一機のシャトルが青いライトを点滅させながら上空を飛行していた。移民用の、あまり快適ではなさそうなシャトル。やがてそれも窓から見えなくなった。また空は黒一色になった。
「宇宙で星を見るのと、ここで星を見るのと、どう違うんだろうね」
 僕には分からなかった。まだ僕は宇宙空間には行ったことはない。
「僕はここで見る星が好きだと思う」
 そう言うと、彼女は「ほんと変わってないね」と笑った。「分かった。あと一年」僕の左肩に手を置く。「あの星が消えないと良いけど」
 さっき記録した星のことを言っているのだった。
 僕が彼女と共同で発見した小さな恒星。二人で考えた名前の付いた星。
「消えない方を願おう」僕も小さく笑ってみせた。
 確かに、気の遠くなるような時間をかけてやっとできあがったものが、消えていく時にも同じだけの時間をかけるとは限らない。僕らはそれを学んだ。でも、僕らが終わりに近づいているのかどうかは、その時が本当に来てみないと分からないとも思う。
 だから、僕らは飽きずに星を見ている。
「じゃあ、もう寝よう」
 彼女は机の向こうへ回った。僕もお茶を飲み干すと、立ち上がってコップを渡す。彼女は部屋を出た。僕が天井の窓を閉じ、端末の電源を全て落とすと、部屋はまた別の暗闇に包まれた。明日は濾過装置を掃除しないといけない。
あとがき
Twitter上の#深夜の真剣文字書き60分一本勝負企画、2度目の挑戦でしたが、制限時間内での完成はかないませんでした。
お題の選択はあえて一個に絞って、そこからイメージを膨らませることに専念しました。結果、やけに甘ったるい感じになってしまいましたが、たぶん↓のような2曲を連想していたからだと思います。

 

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