お嬢様、月にて難題に挑む

お題:「箱」、「お月さま」、「運動オンチ」

 
「お嬢様、午後十二時四十分です。お目覚めください」
 ベッドの傍のテーブルに置かれた時計のスピーカーが声を発する。ベッドの上にそびえている巨大な高級羽毛布団の山は、動く気配を見せない。
「お嬢様、本日の累積睡眠時間が十一時間を超えております。こんな退廃しきった生活を続けてはいけません。お目覚めください」
 山の端が内側からちらりとめくられ、眠たげな瞳が覗いたが、すぐにまた閉じられた。
「お嬢様、本日は午後二時より予定がございます。NWN社の社長様の御曹司でいらっしゃる方とのお茶会です。早くお目覚めにならないと――」
「なんでそれ早く教えないのよ!」
 ベッドから少女が跳ね起きた。くしゃくしゃになった髪が、でたらめに作られた蜘蛛の巣のようにあちこちに伸びていた。
 ほぼ同時に寝室のドアが開き、黒いスーツを着込んだ男性型アンドロイドが入ってくる。時計が発していたものと同じ声で話す。「私は午前九時から繰り返しお伝えしておりましたが……」
「とにかくさっさと準備しなさい! 朝ごはんは良いから! 今日は今までで一番可愛い格好で行かなくちゃいけないのよ!」
「承知しました」
 執事は耳に手を当て、メークと衣装の世話係を通信で呼び出す。少女は柔らかい布団を気だるげに押しのけ、生白い両足を下ろした。
「まったく、大事な日なのに忘れてたなんて迂闊だったわ……、私としたことが。それもこれも全部あのゲームが面白くてやめ時が見つからなかっただけで……。さっさと起きて支度しないとぐえっ」
 歩き出そうとした少女は床に前のめりに転んだ。
「お嬢様、どうされました」
「ダメだわ……、最近ずっとベッドの上で過ごしてたせいで歩き方を忘れてしまったみたい……」少女はくぐもった声で答えた。
「そんなわけありませんよ。運動障害は大抵の場合、平衡感覚や随意筋運動などを調節する小脳の異常によるものであり、お嬢様の脳はこれでも至って健常で――」
「良いからさっさと歩行補助フレーム持ってきなさいよ! ていうかその前に私を起こしなさい! いつまで床の上に死んだゴキブリみたいに突っ伏させるつもりなのよ!」
 こうして少女はアンドロイドに起こされ、難儀しながらもフレームを装着することでようやく部屋を出ることができた。彼女が部屋の外の空気を吸うのは、実に十五日ぶりの出来事だった。

 少女は着付けやメークについて細かく催促して時間をかけ、そのせいで出発は慌ただしかった。
「お父様、お母様、行って参ります!」
「行ってらっしゃい。先方に失礼の無いようにね、ミコトちゃん」
 箱入り娘だった彼女を出かけさせるのに、両親もあれこれと執事アンドロイドに注文をつけた。紫外線を直に浴びる時間は十分以内に抑えること、途中で喉が渇いたと言ったらどこそこの喫茶店を選ぶこと、データ通信の環境は常に下り最低五Ebps、上り最低六百Pbpsは維持すること云々。
 自律走行リムジンに導かれ、ミコトは間もなく御曹司の住む邸宅に着いた。直前まで、彼女は会話シミュレーションソフトをインストールした執事を相手に、気品あふれる会話の仕方というものを練習していた。執事は声はもちろん、拡張現実を用いて見た目まで御曹司に変身していた。
「ネットでテキストをやり取りするのとは訳が違うからこれくらいやらないと。じゃなきゃ根暗でコミュ障の私にはあの人は振り向いてくれないわ」
 邸宅に着くと、ワインレッドのスーツを着た給仕ドロイドに出迎えられ、茶会の会場である庭に案内された。ミコトはドレスの下に未だに歩行補助フレームを付けていたが、絨毯張りの廊下を歩く足取りは至って自然にできていた。後ろからは執事がしずしずとついてくる。
 その日の茶会には、男女十数名が集まっていた。白いテラスは、周りを豊かな緑に囲まれていた。テーブルの奥に座っていた御曹司が立ち上がり、微笑んだ。すらりと背が高く、肌は少し日に焼けている。スポーツマンタイプだと聞いていた通りだった。
「ミコトさん、ようこそお越しくださいました。セキサクと申します」実際に話す姿は、先ほどのシミュレーションよりも魅力的に見えるものだった。
「はじめまして。今日はこの素敵なお茶会にお招きくださってありがとうございます。その……、お会いできて、嬉しいですわ」ミコト自身には、誰か別人が自分の口を借りて喋るような感じがあった。
 彼女を加えて茶会が始まる。長らくこういった場に参加していなかったミコトはマナーもあやふやになっていて、執事が通信によって遠隔的に「耳打ち」して助けてくれなければ、赤っ恥ものだった。一方で、ミコトはそのテーブルにいたセキサクと、今日初めて存在を知った彼の四人の友人の男性達に目を奪われていた。どうしても他の女性の参加者と自分の格好を比べたくなり、内心ではもっと早く執事が起こしてくれれば、おしゃれに時間をかけられただろうにと口惜しがった。
 しばらくしたところで、セキサク達がバドミントンのラケットをどこかから持ち出してきて、芝生の上で遊び始めた。最初は男性達だけだったが、いつの間にか男性と女性のペアでダブルスが始まった。ミコトの見ている前で、セキサクは運動神経の良さそうなどこかの令嬢と組んで楽しんでいた。
「どうしよう……、こんなフレームを付けてやっと歩けるような女と組んでくれるかしら……」
「そう不安になってはいけませんよ」執事が離れた場所から通信で答える。「まずは勇気を出して、次のペアになってくださいと頼むんです」
「でも、そもそも生まれてこの方テニスのラケットも握ったことないのよ。こんなんじゃ恥かくだけよ」
「そうでしたらお控えなされば……」
「何言ってんのよ、私はセキサクさん――あとお友達のイケメン達――に良いところ見せたいのよ! どうすればいいか考えて!」
「そうおっしゃいましても……」
「ミコトさん」
 突然セキサクに話しかけられて彼女は驚いた。「は、はい!」
「良かったらご一緒に、いかがです?」そう言って、笑顔でラケットを差し出した。
「あ、ありがとうございます! ぜひ!」
 彼女は反射的にラケットを受け取ったことを後悔した。

 リムジンの中で、ミコトは死体のようにシートに横たわっていた。
「お嬢様、ご気分が優れませんか」
「これのどこが優れてるように見えるのよ」彼女はため息をついた。瞼を閉じると、自分ではない別の女性と汗を流して笑っているセキサクの顔が浮かんでくる。
「会話もテーブルマナーもその場しのぎで何とかできる時代だけど……、運動だけは一夜にしてできるもんでもないわよね」
「今回は仕方がなかったと諦めるのが良いかと思われます。何も世の男性全てが運動神経を基準に女性を選ばれるわけでは――」
「私はあの人が良いの! じゃなかったら今こんなに落ち込んでないから! それくらい察しなさいよこのC-3PO!」
「失礼しました」執事は恭しく頭を下げた。
「よし、それじゃ家に着くまでにどうすればこれを改善できるか考えて」そう言ってミコトは肘を突いて車窓の外を眺めた。
「いっそのこと全身にサイバネティクス手術を受けられては」
「そんなことしたら、あの人をバドミントンラケットで殴り飛ばせるぐらい筋力付いちゃうじゃないの! 私はただ人並みに運動ができるようになれば良いの!」
 車内は静かになった。街は既に夕焼けに染まっていた。彼女が眺める東の空には、月が輝いていた。
「……そうだ、月よ!」ミコトは唐突に大きな声を上げた。「月に行くってのはどう?」
 執事は適切な返答パターンを探して、彼女の顔を見つめていた。「お嬢様は、スター・ウォーズ基準で物事を考えてらっしゃるのでしょうか?」

「というわけで、お父様」夕食の席で早々にミコトはこう切り出した。「私、お月さまに行かなくてはなりません!」
 父は母と少しの間顔を見合わせてから、
「私はお前を光る竹の中から見つけたわけではないんだが……」
「そうじゃなくて! 私はお父様とお母様の子供ですから! それよりもこれです!」食卓の拡張ディスプレイに、月面にある建造物の画像が表示される。
「月にあるトレーニング施設です」執事が説明した。「低重力を利用して、運動機能のリハビリが行えます。主としては月面居住者向けの施設ですが、地球上ではできない運動体験ができるとあって、わざわざ地上から行かれる方も多いのだとか」
「私には地球の重力は辛いんですけど、まず月の上で訓練すれば良くなると思うんです!」
「地球の重力が大変だなんて……。私達本当は月世界の住人だったんじゃない?」母が呑気な様子で言った。
 それを無視して父親は、「お前はそこに行きたいのかい?」と尋ねる。
「はい! お願いします!」彼女は目を輝かせて答えた。
 父は再び母と顔を見合わせたが、やがて彼女の方を向いて頷いた。
「よし、じゃあ宇宙船の予約をしておこう」

 月旅行には例によって執事アンドロイドが同行した。規定により、一度に月に入れる人間およびアンドロイドの数には限りがあり、執事も世話の焼ける少女のために、現地で数体をレンタルするつもりだった。
 宇宙船が月面に着陸して、現地の時計でその日のうちにミコトは目的地に着いた。一部がガラス張りになった黒色の直方体の建物で、名前をモノリス・アスレチック・センターといった。「木星に電波でも飛ばしてそうな名前ですね」執事はそう言ったが、ミコトはその意味を解さなかった。
 専用のトレーニングウェアに着替え、ホールに入る。そこでは、数十種類の区画に分かれて、人々が異なる運動をしていたが、あちこちで人やボールが宙に浮いていた。ミコトは思わず感嘆の声を漏らしていた。
 彼女は、低重力エリアであるコートに恐る恐る足を踏み入れた。かけるべき力に比べて、脚は大げさなほどに動いてしまう。「おっと」少女は間もなく転びそうになった。「これは単に慣れてないだけだから」
「誰も疑ってません」執事は言った。
 その場で執事に促されて体操を行った。それが終わると、中央のトラックに向かい、ジョギングをしている人々の流れに加わった。月面生活者らしい人々が次々と追い越していき、少女は半周もしないうちに息を喘がせていた。
「だ、誰よ……、低重力なら、楽に、運動できるって、言ったの……」
「誰も言ってません」執事は言った。

 トレーニングは三週間続いた。まず食生活のバランスにも気を遣い、ミコトの好みに関わらず栄養効率の高い食事が続いた。毎日アスレチック・センターに入り浸り、時には現地のインストラクターの指導も交えつつ、基礎的な運動に励んだ。
「でもね、これも試練だと思うの、あの人が私に課した」ミコトはたびたび自身にそう言い聞かせていた。「これを乗り越えられれば、きっとあの人も振り向いてくれる!」
 実際、トレーニングは確実に彼女を変えた。ジョギングからランニングへスピードを上げても数キロ単位で走れるようになり、ボール投げでは最初五メートルも超えなかった飛距離が、二十五メートルに届くようになった。
「どうよ! これが人並みの運動神経ってものよ!」地球に帰還する当日。ミコトはバドミントンの試合で、専用の成人男性型アンドロイドを相手に、申し分の無い闘いぶりを見せていた。
「以前の状態から比べれば、確かにこれはとても偉大な進歩だと思います。おめでとうございます、お嬢様」執事は拍手する。
「そうだ、あの人は? セキサクさんとお友達は今地球ではどんな感じ? 私がここにいる間に駆け落ちしてたら笑えないわよ」
「いえ、少なくともあの方々が使われているソーシャル・ネットワーク・サービスの投稿からはそのような気配は読み取れません」執事は言った。
「ならまだ望みはあるわね!」ミコトは笑った。「私はあの人が課した難題をクリアできたんだから! 絶対にあの人に言い寄るわよ!」
「あれを難題だと勝手に解釈したのはお嬢様ですけどね」執事が釘を刺した。
「うるさいわね! 動機はどうあっても、終わりよければ全て良しなの!」彼女は見事なスマッシュでポイントを奪った。

 こうして、運動音痴の箱入り少女の月での特訓は終わった。
 しかし、低重力に適応して成長した筋肉が、果たしてより強い重力の下でもまったく同じように働くかどうかについては、執事も含めて誰も考慮入れてはいないようだった。

あとがき
いわゆる「三題噺」で小説を書こうというお誘いがサークルでありまして、それに参加した作品です。何とか完成できるものを書くという目標でやりました。
お話の構成としては、「逆かぐや姫」というのを途中で思いついたので、取り入れてます。が、どうでも良いです。

 

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