【株価】【自動車整備所】【メビウスの輪】

お題:「株価」、「自動車整備所」、「メビウスの輪」

 
『帯鉈モータース』は自動車整備所だが、ここ数年は自転車操業であることで人々に知られていた。車の修理、整備、車検などを一通り請け負っているが、業績は芳しくない。話によれば、隣町に同業者の『安部エンジンモータース』ができて以来、その業績悪化は厳しくなったと言われている。
「固定客を大事にするんだぞ」と、社長の帯鉈は日頃から従業員に言っていた。「何度もここに通ってもらえるような客をとにかく作れ。そうすりゃ、たとえ景気が悪くなっても、一定の売り上げは確保できるんだ。客はここに車を持ってきて、その後道路に出て、しばらくしたらまたここへ来る。その循環を作れ」
 その割に、帯鉈モータースはまともな固定客らしい固定客も持っていなかったが、社長はそのことにはろくに気付かず、おかげで会社の金はじりじりと減っていった。

 ある日整備所に、まだ見慣れていない新型車が入ってきた。
 社長が直接出迎えると、運転席のウィンドウが下がり、中からサングラスをかけた男が顔を覗かせた。
「あんたがここの社長さん」
「はい、いらっしゃいませ」
「この車は、まだほとんど整備したことないだろう」
 傍目に見て、その車は買ったばかりのようにぴかぴかで、車検の時期でもなさそうだった。
「私は自動車メーカー『メビウス』社に勤めている者だ」男は名刺を出して話し始めた。
「これはこれは、『メビウス』の方ですか。となると、こちらはお宅のお車でしょうか」
「いや、こいつは我々のライバル企業『クライン』の物だ」
 社長は眉をひそめた。
 男は説明した。「これは、『クライン』の新型車。まだ市場に出回ったばかりだ。そこでちょいとあんたの整備所に相談がある」
 男は社長に、「耳を貸せ」という仕草をした。
「どうだ、この車に意図的に欠陥を作らないか」
 社長は首を振った。「何をおっしゃるんです、そんなことは……」
「ダッシュボード周りの電子制御をいじってやるんだ。エアコンをつけようと思ったらエアバッグが出てくるみたいな。うちが内密に手を回して、あんたの所にこの車のユーザーが何人か点検に来るように仕向ける。同じような相談は、既に他の何件かの整備所にも持ちかけているから、一斉にトラブルを告発すれば、『クライン』は動揺するはずだ」
「しかし……」
「リコール問題が起きれば、『クライン』の株価は下がる。決算の時期に不祥事があれば、大きな打撃となるはずだ。もし事が上手く行けば、あんたのところにも、相応の謝礼はさせてもらうが……」男は、ポーチバッグを取り出して開けて、中から札束を覗かせた。
「とはいえ……」社長は苦しい表情をしていた。
「あんたも、自転車操業から立ち直りたいだろう」男が社長の腕を叩いた。「自動車の設備に関する問題があれば、整備所への世間の需要も増えるはずだ。あんたのところで『欠陥』の発見実績が増えれば、それは評判になる。そうだろう? どうだ、やってくれないか」
 社長は、しばらく黙り込んだ後、ようやく首を縦に振った。
「分かりました。本当にばれないのであれば」
「もちろん、安全は約束する。ほら、前金だ」男はバッグを社長に渡した。「頼むぞ。我が社の株価のためだ」

 かくして、『帯鉈モータース』は、『クライン』の新型車の電子制御の欠陥を次々と見つけていった。何も知らずに、単に整備所のキャンペーン(『メビウス』の指示で急きょ始めたものだった)目当てで来ていたユーザーは、点検の結果を聞かされて驚き、事故に繋がる前に見つけてくれて助かった、と感謝した。同時期に、他の整備所でも相次いで報告が上がり、『クライン』社のリコール問題に発展するまでは時間はかからなかった。
『クライン』の株価は、投資家も予想していなかった急落を見せる。『メビウス』は、リコールによって『クライン』の車を手放したユーザー層をターゲットに新型車を売り込み、これによって業績は大きく伸びた。
 それから間もなく、『帯鉈モータース』にも、約束通りの報酬が振り込まれた。それだけでなく、整備所は既に多くのリピーターを作りつつあった。何か車に問題が起きれば、まず最初に頼りに行く所という評判だ。
「循環だ。良い循環が出来たぞ」社長は上機嫌だった。「これこそが経営の目標だ。収益が発生する構造を作る。車を輪っかに載せるようなものだ。ここで整備を受けて出ていき、またここへ帰ってくる……」

 しばらくして、再び『メビウス』社の人間が訪れた。
「調子はどうだね」
「これはこれは。おかげさまで、すっかりうちも好調です」社長は、次々と車が入ってくる整備所を手で示す。
「ふふふ。それなら何よりだ。我が社の業績も、『クライン』を大きく引き離して成長する見込みだ。ちょっとは気の毒だが、これも競争社会だと分かってくれただろう。ところで、どうだ、これは最近我が社が売り出した新型車だ」
「これは素晴らしいですね。『クライン』さんよりも遥かに……」
「そうだろう。これは礼だ、受け取ってくれ」男は自動車のキーを社長に差し出した。
「そんな、勿体ないですよ」
「今となっては、これぐらいのことは安いものだ。また今後もお宅に頼むかもしれないし」
 社長は結局、恭しくキーを受け取った。「では、これからもよろしくお願いいたします」
「ははは、大事に使ってくれよ」

 医者は自分の子供を自分で手術することは必ず避けるという話を、社長は聞いていた。他の患者を手術する時には無いような、私的な感情が入り込むと、手元が狂うかもしれないと。
 そういうわけで、社長は自分の車は『安部エンジンモータース』で点検させることにしていた。自社でやると、「社長の車だから」と社員に要らぬ気を遣わせるかもしれない。
 同業他社を利することになるが、『帯鉈モータース』の経営が安定した軌道に乗った今では、それも許容できることだった。
「ありがとうございましたー。またお越しください」
 点検を終えた『メビウス』の新型車に乗って、社長は上機嫌で自分の会社へと向かった。
「ふふふ、『安部エンジン』もこちらにほとんど客を奪われたようだ。悪いとは思うが、これも競争社会。栄えていた者は、いつかは衰えていくものだ……」
 社長は、ラジオでもかけようと思い、オーディオの電源を入れた。その途端に、目の前が白く柔らかいクッションで一杯になり、ハンドルを握ることができなくなった。制御を失った車は、そのままガードレールにぶつかって、止まった。
 社長は目を回しながら、こう呟くしかなかった。「くそう、『クライン』め……」

あとがき
制限時間1時間で三つのワードから小説を書くという企画でしたが、これで約90分もかかってます。はい。

 

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